年が明けて寛文十三年(一六七三)の正月を迎えた。
ほどなくして七兵衛が公儀の役人を連れてやってくるというのに、長喜屋の大船造りは遅々として進んでいなかった。
長喜屋では不眠不休での作業が続き、真夜中でも長喜屋の二つの作事場には篝が焚かれ、槌の音が高らかに響いていた。
丸尾屋の大工たちの話題は長喜屋のものばかりで、皆、その進捗に強い関心を抱いているのは明らかだった。
——こいつらもやりたかったのか。
生き方では保守的な考え方を持つ者の多い職人だが、自らの仕事の分野では、新しいことに挑戦するのを厭わない。それを思うと、やらせてやりたかったという気もする。
だが嘉右衛門は、その話題に一切かかわらず、黙々と自らの仕事を続けていた。
二月、七兵衛が役人数名を引き連れて牛島にやってきた。役人は、船手頭という幕府の船舶の管理と海上輸送を司る役人の下役で、一人の同心と三人の与力だった。
これだけ高位の役人が江戸から来ることはないので、牛島は緊張に包まれていた。上陸する浜は隅々まで掃き清められ、島民総出で浜に正座して出迎えた。
庄屋の五左衛門が歓迎の口上を述べ、浜辺に設えられた新築の接待所に七兵衛たちを招く。そこで茶を飲みながら一休みした後、一行は長喜屋の作事場に向かった。
長喜屋の作事場に着いた一行は、まず浜に設置された船台に載る大船を見学した。この時、嘉右衛門も初めて千石船というものを見た。遠目から見たので、その出来栄えは問題がないように見受けられたが、一つだけ気に掛かることがあった。
長喜屋は二つの作事場で作業を分業し、それを最後に擦り合わせるという工程を取っていた。
長喜屋の船大工の腕は、明らかに丸尾屋に劣る。しかも分業となると、互いの連携が決め手となる。
父の儀助の言葉が脳裏によみがえる。
「船大工は、常の大工と違って人様の命を預かっている。だからこそ和が大事だ。和を乱す者は、どんなに腕がよくても放逐するしかねえ」
——いくら差図や木割があっても、二つの作事場が仕事を分けて、うまくいくもんじゃねえ。
だが嘉右衛門は、そんなことを一言も口にしなかった。言ったところで、二つの長喜屋の規模では、そうするしかないからだ。
その日はそれで終わり、長喜屋では前祝いの祝宴が張られた。嘉右衛門も招かれたが、体調が優れないことを理由に参加しなかった。
翌朝、牛島中の人々が見守る中、長喜屋の造った千石船が船卸された。ところが海に出たのはいいものの、長喜屋の千石船は帆を張る作業に手間取っていた。
「どんな具合だ」
五左衛門が嘉右衛門の傍らにやってきた。
「外海は難しいかもしれません」
「なぜだ」
「船を大きくすれば、帆や舵も大きくせねばなりません。見ての通りです」
船上では、大きな帆をうまく上げられず、船子たちが右往左往している。
「どうやら重すぎて自在に操れねえようだな」
五左衛門が手庇を作って沖を眺めつつ言う。
「しっかりと帆を操れねえと、風と潮に押し戻されて浅瀬に乗り上げます」
「お前はそれを知っていて、長喜屋の船大工に何も言わなかったのか」
「そんなこたあ、百も承知でしょう」
「本当にそうなのか。一言くらい確かめてやってもいいものを」
——それは違います。
五左衛門は大工や職人の微妙な心理まで理解できない。いくら親しくとも互いの仕事に口を挟まないのが、大工や職人の暗黙の了解なのだ。
「それを言ったところで、奴らが素直に聞き入れるもんじゃありません」
「いや、お前の意見なら聞くはずだ」
——逆の立場だったら聞かない。
それが分かっているだけに、嘉右衛門は長喜屋の船造りに口を挟みたくなかった。
「おっ、ようやく張れたようだ」
大きな帆が風をはらむ。南西風がわずかに吹き、波も静かなので、試し走りさせるには絶好の日和だ。
——だが、外海では駄目だ。
嘉右衛門は帆の大きさと、両方綱や手縄を操る人数を勘案し、即座に結論を出した。
弁財船は洋式船のように帆柱や帆桁に人が登る必要がなく、帆を船上で操作する。帆を張ったり下ろしたりする時は、滑車と轆轤を使って行うが、風向きによって帆桁の角度を変えねばならず、それは人力で行われる。風の強弱によって帆の膨らみを調整する時は両方綱を、帆桁の角度を変えるときは手縄を操作するが、その指示は親仁と呼ばれる手練れが行う。親仁は帆だけでなく舵の操作にも指示を出す。だがそれは二百石積みくらいの小船だからできることで、これだけの大船になると、それぞれの役割を分担させねばならない。
「うまくいったぞ!」
誰かの声がした。
船は風を受けるや安定し、外海に向けて走り出した。入江の出口でもふらつかず、浅瀬にはまって底擦りすることもなかった。
見守っていた島民がわく。長喜屋の船大工や関係者たちも手を取り合って喜んでいる。
七兵衛らしき人影が沖を指差し、床几に座す役人たちに何事かを説明している。
「どうやら、うまくいったようだな」
五左衛門は、安堵と羨望の入り交じった複雑な顔をしていた。
「いや——」
だが嘉右衛門には分かっていた。
「沖の風を操るのは無理です」
「そんなことはあるまい。あれを見れば——」
そこまで言ったところで、五左衛門は絶句した。
外海に出て強くなった風とうねりに、長喜屋の船は翻弄され始めた。船は横に大きく傾きながら、何とか復原することを繰り返している。
船子たちは船上を走り回って、両方綱や手縄を引いては緩めてを繰り返していた。それでも風を受けた帆は重すぎ、なかなか思うように動いてくれない。きっと舵も同じなのだろう。
長喜屋の大船は常の帆走でさえ四苦八苦となり、予定していた間切り走りや開き走りといった動作を見せるどころではなくなっていた。間切り走りとは風上への乙字(ジグザグ)帆走を、開き走りとは横風を受けて帆走することをいう。
それでも、何とか体勢を崩しては戻すことを繰り返していた長喜屋の船だったが、遂に帆に亀裂が走った。
「あっ、裂けたで!」
見物客の間に落胆のどよめきが起こる。