煙草というのは便利なものだな。」潮がわく海 ー8

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

山々の緑があせ、夏の蒸すような暑さが去った八月、再び河村屋七兵衛がやってきた。

 七兵衛を迎えた五左衛門は、丸尾屋の一室で結論を告げた。

「そうでしたか。つまり嘉右衛門さんという作事場の親方が、うんと言わないんですね」

「お詫びの申し上げようもありません。当家では、船造りについては大工頭に任せるのが仕来りで、無理強いできないんです」

「それはそうです。無理強いした仕事が、うまくいったためしはありません」

 七兵衛が力強くうなずく。だがその顔には、落胆の色があらわだった。

「うちで請け負えないのは残念ですが、塩飽の船造りは、うちだけではありません」

「それは知っていますが、ほかでも千石船を造れるんですか」

 七兵衛の瞳が輝きを取り戻す。

「長喜屋さんというんですが、五百石積みまでは造ったことがあるので何とかなると思います」

「そうでしたか。で、そちらのご意向は—」

「内々に打診したところ、大喜びで『ぜひ、やらせてほしい』と言っていました」

「そいつはよかった」

 七兵衛が満面に笑みを浮かべる。

 五左衛門は長喜屋について説明した。

「ということは、長喜屋さんは権兵衛家と伝助家に分かれているということですね」

「はい。先代の時に分家したので、二人はの関係になります」

「それが、此度は力を合わせていただけると—」

「そう申しています」

 今回の河村屋の話に丸尾屋は絡めないが、公儀の仕事を請け負うからには、長喜屋の二人を背後から支えると、五左衛門は七兵衛に約束した。

「ありがとうございます。丸尾屋さんが後ろに付いていれば安心だ」

「当然のことです。それよりも、まずは長喜屋の二人にお会いになられませんか」

「そうですね。善は急げだ」と言うや、七兵衛が先に立ち上がった。

 長喜屋の屋敷は丸尾屋の並びにある。

 二人が談笑しながら長喜屋に着くと、権兵衛と伝助をはじめとした店の者たちが総出で迎えてくれた。そこで双方の紹介を済ませると、五左衛門はその場を後にした。長喜屋に任せたからには、それ以上の介入は迷惑になると思ったのだ。

 五左衛門は、その足で牛島の真ん中を貫くように付けられた道を歩き、小浦にある嘉右衛門の作事場に向かった。明石の顧客から注文を受けた五百石積み船の納期を確認しておきたかったからだ。

 道が海に突き当たると、ひとのない浜辺に座って茫然と海を見つめる後ろ姿が見えた。

 —あれは嘉右衛門か。

 これまで、嘉右衛門が一人たたずんでいるところになど出くわしたことはない。せいぜい作事場の前の浜辺に出て、見るでもなく海を見ながら煙管をくゆらすぐらいである。

 五左衛門が近づいていくと、その足音に気づいたのか、嘉右衛門がこちらに顔を向けた。

「よう、どした」

「あっ、棟梁—」

 嘉右衛門が立ち上がり、五左衛門を迎える。

「何をしていた」

「いえ、何も—」

「まあ、座れよ」

 すでに季節は秋で、日差しの強い浜辺にいても、さほど暑さは感じない。

 二人は腰掛けると、どちらともなく煙管を出して煙草を詰め始めた。

 —煙草というのは便利なものだな。

 会話が弾まない時など、煙草を吸うことで幾分か沈黙の気まずさが薄れる。

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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伊東潤

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