今が塩飽の船造りにとって勝負どころだ」潮がわく海 ー7

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

煙草盆を引き寄せた五左衛門が、灰落としの縁に煙管を置く。その顔には苦い色が浮かんでいた。

「そうかい。それが三人の総意ってわけだな」

「へい」

 広縁にかしこまるように正座した嘉右衛門がうなずく。

 いつもは「こっちに来いよ」と言って、嘉右衛門を対座する位置に招く五左衛門だが、今日はそんな気にならないらしい。

「どうしても、できねえんだな」

 再び煙管を取り上げ、一口吸った五左衛門は、灰落としに煙管の灰を勢いよく落とした。その仕草からいらちが伝わってくる。

「わいらは、わいらの海に合った船を造るだけです」

「つまり五百石積みまでってことだな」

「へい」

 五左衛門がため息をつく。

「いいかい。何度も言ったが、それじゃ塩飽は衰える」

 五左衛門の理屈は嘉右衛門にも分かる。小さな船のままでは、大船が多くなると競争力が落ちてくる。買積では物がさばけても利幅が薄くなるし、買い手に足元を見られて買い叩かれるだろう。賃積では運賃で大船に競り勝てない。あらゆる点で大船は有利なのだ。

 それが分かっていながら、嘉右衛門は首を縦に振らなかった。

 —船子たちは船大工に命を預けている。その信頼を裏切ることはできない。

 嘉右衛門は、清風丸の悲劇を二度と繰り返してはならないと思っていた。

「しょうがねえな。この話は河村屋さんが持ってきたとはいえ、あくまで公儀の依頼だ。それなら長喜屋に託すしかあるまい」

 それで話は終わった。

 嘉右衛門は一礼すると、気まずい思いを抱きながら丸尾屋を後にした。

 —棟梁を失望させたのは初めてだな。

 それを思うと、胸がえぐられるほど辛い。

 これまで嘉右衛門と五左衛門は二人三脚でやってきた。意見が対立することはあっても、互いに歩み寄って解決してきた。だが今度ばかりは、そんな関係にもひびが入ったような気がする。

 —だが、こればかりは譲れない。

 嘉右衛門は、人間関係のために信念を犠牲にするつもりはなかった。

 作事場への道を歩いていると、娘の梅と出くわした。

 器量は十人並みの梅だが、愛想がよく何事にもよく気が回るので、縁談が頻繁に舞い込む。だが嘉右衛門は、何のかのと言って断ってきた。梅が可愛いというよりも、配下の大工に嫁がせたいと思っていたからだ。しかし嘉右衛門のお眼鏡にかなう若手大工は、なかなかいない。

「おとっつぁん、そんな顔してどうしたの」

 梅が心配そうにのぞき込む。

「そんな顔って、どんな顔をしている」

「何か思い詰めているような—」

「思い詰めることなんて何もねえ」

「なら、いいんだけど—。これから丸尾屋さんに、皆の給金をもらいに行ってきます」

「そうか。ご苦労だな」

 それだけ言って擦れ違った嘉右衛門の背に、梅の声が掛かる。

「兄さんのことだけど—」

「弥八郎がどうした」

 梅は一瞬、ちゆうちよした後、思い切るように言った。

「おとっつぁんが留守の間、兄さんが磯平さんに食って掛かったのよ」

「何だと」

「すごい剣幕で怒っていたわ」

 梅によると、怒鳴り声がしたので行ってみると、弥八郎が磯平に怒鳴り散らしていたという。その場は梅や大工たちが間に入って収めたが、弥八郎は「磯平さん、話が違うじゃねえか」と言っていたという。

 —弥八郎は磯平に根回ししていたのか。

「あの野郎—」

 嘉右衛門の胸底から怒りが溢れてきた。三人の話し合いで出た結論に不満を持った弥八郎が、磯平に怒りをぶちまけたのだ。そんなことをすれば二人の関係に亀裂が入るのは明白で、嘉右衛門の隠退後、作事場の仕事がうまく回らなくなる。

 —あいつは、そんなことも分からねえのか。

 感情を抑えきれず先々のことに配慮できない弥八郎を、嘉右衛門は許せなかった。

「いったい、何があったの」

「女のお前が口出すことじゃねえ」

 そう言い残すと、梅に背を向けた嘉右衛門は作事場への道を急いだ。

 嘉右衛門の姿が見えると、いつも大工や見習いが「お帰りなさい」と声を掛けてくる。この時もそうだったが、いつになく皆の顔に気まずい色が表れている。

 —相当、派手にやりやがったな。

 作事場に入ると、二人がそれぞれの仕事に従事していた。

 何かの作業をしている弥八郎の背後に迫った嘉右衛門は、その襟首を摑んだ。

「なんでえ!」

 弥八郎が憤然として手を振り解こうとする。

「磯平に食って掛かったんだってな」

—」

 弥八郎が口をつぐむ。

「お前が何をしたか、分かってんのか。三人で話し合い、出した判断に文句をつけてどうする」

「だってよう。磯平さんは、これまで同意してくれていたんだ。それを裏切るから—」

「裏切るだと—」

「そうだ。おとっつぁんの前でよりしたんだ」

「それは違う! 磯平は磯平なりに考えたんだ」

 嘉右衛門が弥八郎を突き倒す。

 その時、ようやく騒ぎに気づいた磯平が駆け付けてきた。

「お頭、待って下さい」と言いつつ、磯平が背後から嘉右衛門の腕を押さえる。

「放せ! この野郎に船造りの掟を思い知らせてやる」

「お待ち下さい。あくまで仕事の上の言い争いです」

 倒れたまま啞然としていた弥八郎が立ち上がる。

「おとっつぁん、わいは磯平さんが憎くて議論を吹っ掛けたんじゃねえ。塩飽の船造りの先を思えばこそだ」

「お前が先のことを考えているだと。馬鹿も休み休み言え。半人前のお前に船造りの何が分かる!」

「ああ、そうだ。わいはまだ半人前だ。でもな、世の中の動きくらいは分かる。今が塩飽の船造りにとって勝負どころだってこともな」

「生、言うんじゃねえ!」

 磯平の手を振り払った嘉右衛門の平手が飛ぶ。

「お頭! やめて下さい」

 磯平が羽交い絞めにしてきた。

「弥八郎、お前はこの作事場に要らねえ。親子の縁を切るから出ていけ!」

「何だと—」

 その言葉に弥八郎は衝撃を受けたようだ。それでも立ち上がると、裾に付いた木屑を払い、くされたように言った。

「分かったよ。出ていってやるよ。いつまでも、おとっつぁんの流儀でやるがいいさ」

「この野郎!」

「お頭、堪えて下さい!」

 弥八郎が足早に作事場から出ていく。

「磯平、もういいから放せ」

 磯平は押さえる手を放すと、苦渋に満ちた顔で言った。

「お頭、何もそこまでしなくても—」

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伊東 潤
光文社
2018-10-30

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0mo_om0 【火・木は男たちの船出の日】組織が新しいことにトライしようとするときには必ず起こる問答。 #伊東潤 #男たちの船出 約1年前 replyretweetfavorite