「棟梁の話はそんなとこだ。お前らの考えを聞かせてくれ」
弥八郎と磯平の二人を浜辺まで誘った嘉右衛門は、煙管を取り出すと細刻みを詰め始めた。
この日の海は穏やかで、ほとんど風もない。その中を数羽の海鳥が、のんびりと飛行を楽しんでいる。
「おとっつぁん、この話は受けるべきだ」
弥八郎が断固たる口調で言う。
「これは、塩飽がこれからも栄えていけるかどうかの分かれ道だ。しかもお上から元手が出る。これほどいい話はない」
「お前は、お上が金を出すという謂いが分かっているのか」
「どういうことだ」
嘉右衛門が紫煙を吐き出しながら言う。
「何があっても、しくじれねえということだ。引き渡しが延びたり、何か不具合が生じたりすれば、代官やら目付役やらがわんさとやってきて厳しく取り締まられる。少しでも落ち度があれば、誰かが責めを負わねばならねえ」
「そいつは分かっている。だけど、何事もやってみなけりゃ分からねえ。長きにわたって培ってきたわいらの技を試すいい機会だと思わないか」
「いいか」と言って、嘉右衛門が灰を落とす。木屑が散らばった作事場では喫煙厳禁なので、煙草は浜で吸うことになっている。
「そのために、危い賭けをするわけにはいかねえ」
「そんなことはねえ。わいらがやらなきゃ誰がやるんだ。長喜屋が受ければ必ずしくじる。そうなれば塩飽の評判は地に落ちる」
「お前は何も分かってねえ」
「そんなことはねえ!」
弥八郎が目を剝く。
「ここの海は潮もややこしく、風向きもよく変わる。おまけに引き潮になれば、暗礁が顔を出す。こんな海にでかい外艫を持つ大船を浮かべるなんざ、船子たちを死に追いやるだけだ」
「船子たちは、そんな柔じゃねえ。奴らも大船に乗り組むことで、さらに腕が上がることを知っている。それが孫子の代までの繁栄につながることもな」
「清風丸が破船して十一人の船子が水仏になったんだ。中には十三歳の炊夫もいた。死んだ船子の家族たちは悲嘆に暮れている。それを見ている連中は、大船に乗りたがらないに決まってる」
海で糧を得ている塩飽衆でも、一度に十人以上が死ぬという大事故は、何十年に一度しかない。その衝撃で、船手衆の中には、大船に否定的な見解を示す者が多くなっていた。
「それは違う」
弥八郎が反発をあらわにする。
「船子だって馬鹿じゃない。大船を扱う技をいち早く学ぶことで塩飽が繁栄するなら、嫌がる者などいねえはずだ」
話は堂々めぐりとなった。そこで嘉右衛門は、これまで黙ってやり取りを聞いていた磯平に水を向けた。
「お前はどう思う」
「へい」と言って黙ってしまった磯平に、嘉右衛門が重ねて問う。
「腹蔵のないところを聞かせてくれ」
「分かりやした」と言って、ようやく磯平が話し始めた。
「お二人の話を聞いていると、どちらにも一理あります。これが塩飽にとって大きな飛躍の機会なのはもちろん、わいらだったら大船が造れるかもしれません。しかし、ここの海に大船が向いていないことも確か。無理して、わいらが先に立つことはないと思います」
「お前もそう思うか」
嘉右衛門は胸を撫で下ろした。もしも磯平が弥八郎を支持したら、嘉右衛門の面目は丸つぶれとなるところだった。
「おとっつぁんも磯平さんも分かっちゃいねえ。思案をめぐらせば、造れないもんなんてねえ!」
劣勢になった弥八郎が、二人をなじるように言う。
「長喜屋がしくじり、この話をよそに持っていかれたら、それで仕舞いだ。おそらく十年後、大半の船は千石積みか、それ以上になっている。その流れに後れを取ったら塩飽は——」
弥八郎が口惜しげに唇を嚙む。
「塩飽衆は滅び、この島に住む者はいなくなる!」
「そんなことはねえ」
「いや、ここが正念場だ。実はわいにも考えがある。そいつを聞いてくれねえか」
「考えだと」
「そうだ。前から市蔵さんと大船造りを思案していたんだ」
弥八郎が市蔵の名を出したことに、嘉右衛門は憤りを覚えた。
「もう市蔵は冥府に行った。お前の話が、市蔵の思案から出たものとは証明できねえだろう」
「何だって。おとっつぁんは、わいの言葉を信じないのか」
磯平が口を挟む。
「頭、聞くだけ聞いたらいかがでしょう」
「駄目だ。半人前の思案に従って船を造り、船子を死なせたらどうする!」
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