お前には悪いが、頼む」潮がわく海 ー5

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 数日で御城米船の修繕も終わり、七兵衛一行を送り出した五左衛門は、久しぶりに嘉右衛門の許に足を向けた。

 嘉右衛門の作事場は、牛島の表玄関にあたる里浦とは反対側の小浦にある。行ってみると、五百石積みの弁財船の船卸儀礼が行われていた。

 池神社の神主がお払いし、最後に嘉右衛門がふなたまさいもんを読み上げると、りん(船台)に載っていた弁財船が入江に押し出された。船上からは新船の前途が安泰であることを祈り、き札や撒き餅が海に投げ入れられる。

 新造船は船子と船大工を乗せて近海を周回し、水漏れ試し(水密検査)などの様々な検分を経た後、注文主に送り届けられる。

 新造船の試し走りを真剣なまなしで見つめる嘉右衛門に、五左衛門が声を掛ける。

「嘉右衛門、どうだ」

 五左衛門に気づいた嘉右衛門は、腰をかがめて挨拶をした。

「具合はいいようです」

「そのことじゃねえ。市蔵の妻子のことだ」

「ああ、そのことで。一家はもう落ち着きました。長男のくまいちが今年十五になるんで、船大工の見習いにしました」

 嘉右衛門の作事場で雑役に就いていた熊一が、船大工見習いに格上げされたという。

「そいつはよかった。めいの市蔵も喜んでいるはずだ」

「はい。おそらく—」

 嘉右衛門が寂しそうな笑みを浮かべる。

「辛いのは分かる。お前にとって市蔵は、かけがえのない弟だったからな」

「へ、へい」

「気を落とすなと言っても無理な話だろうが、お前は丸尾屋の屋台骨を支えているんだ。それを忘れちゃいけねえぞ」

 嘉右衛門がこくりとうなずく。

 その顔つきからは、何の感情も読み取れない。

 —それが職人というもんだ。

 五左衛門は、職人たちとの長い付き合いを通じて、その感情を面に出さない気質を知っていた。

「少し歩かねえか」

 五左衛門が先に立ってみぎわを歩き始めると、嘉右衛門が腰をかがめるようにして続く。

「御城米船の修繕では手間を掛けた。急がせたんで、徹夜で仕上げたんだってな」

「いえ、たいしたことじゃありません」

「おかげで河村屋さんは今朝方、上機嫌で帰っていった」

「そうですか」

 相変わらず嘉右衛門の口数は少ない。

「その時に、いろいろ話をしたんだがな」

 五左衛門は一拍置くと、思い切って切り出した。

「河村屋さんは、塩飽の船手衆を船ごとすべて借り上げたいと言うんだ」

「すべて借り上げると—」

「ああ、西回りの御城米輸送を、わいらにゆだねたいとのことだ」

 これだけのことを告げても、嘉右衛門は顔色一つ変えない。

「だがわいらには、ほかに請け負っている仕事もある上、お得意さんのために買積船も出さねばならねえ。いかにお上の依頼でも、『はい、そうですか』と引き受けるわけにはいかねえ」

「ご尤もで」

「河村屋さんとそろばんはじいたんだが、江戸へ西回りで送る御城米は一年で七万五千石となる。つまり五百石積みの船が百五十隻も必要になる」

「そんな無茶な」

「無茶は分かっている。それで何か良策はないかと、河村屋さんと夜を徹して考えたんだが—」

 五左衛門は一瞬、口ごもったが、思い切るように言った。

「それよりも大きい船を造れねえか」

 背後を歩く嘉右衛門が立ち止まったのを、五左衛門は感じた。

「いいか、嘉右衛門、わいにも立場がある。お上の依頼を断るわけにはいかねえ。だが、お得意さんを袖にすることは商人あきゆうどきようとしてできねえ。それで苦肉の策として考え出したのが新造船だ。だが、それだって五百石積みの船をいくつも造ることはできねえ」

 五左衛門が声音を強める。

「清風丸が破船してしまい、わいも大損だ。死んでいった者たちの遺族への見舞金や死米定で、新たな船を造るにも元手(資金)がない。だが河村屋さんによると、元手はお上が低利で貸し出してくれる上、十年ほど城米輸送に使った船は、無償で払い下げてくれるというんだ。こんなうまい話はねえ」

 それでも嘉右衛門は黙ったままだ。

「ほかの廻船問屋との争いも激しくなってきている。ここで河村屋さんとよしみを通じておくことで、お上も便宜を図ってくれるはずだ。逆に断れば、何かとめんどうなことになるかもしれねえ」

 嘉右衛門は何も答えず海を見ていた。

「弟を亡くしたお前の気持ちも分かる。もう大船は造りたかねえだろう。だが、ほかの商人たちに押され気味の塩飽衆にとって、これは大きな飛躍のきっかけになるかもしれねえんだ」

「で、どんだけ大きい船を造れと—」

 嘉右衛門が問う。

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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0mo_om0 「それよりも大きい船を造れねえか」ー。このセリフの重みが、後でさらにきいてくるのです・・・・!くうう #男たちの船出 #伊東潤 2年弱前 replyretweetfavorite