数日で御城米船の修繕も終わり、七兵衛一行を送り出した五左衛門は、久しぶりに嘉右衛門の許に足を向けた。
嘉右衛門の作事場は、牛島の表玄関にあたる里浦とは反対側の小浦にある。行ってみると、五百石積みの弁財船の船卸儀礼が行われていた。
池神社の神主がお払いし、最後に嘉右衛門が船玉祭文を読み上げると、輪木(船台)に載っていた弁財船が入江に押し出された。船上からは新船の前途が安泰であることを祈り、撒き札や撒き餅が海に投げ入れられる。
新造船は船子と船大工を乗せて近海を周回し、水漏れ試し(水密検査)などの様々な検分を経た後、注文主に送り届けられる。
新造船の試し走りを真剣な眼差しで見つめる嘉右衛門に、五左衛門が声を掛ける。
「嘉右衛門、どうだ」
五左衛門に気づいた嘉右衛門は、腰をかがめて挨拶をした。
「具合はいいようです」
「そのことじゃねえ。市蔵の妻子のことだ」
「ああ、そのことで。一家はもう落ち着きました。長男の熊一が今年十五になるんで、船大工の見習いにしました」
嘉右衛門の作事場で雑役に就いていた熊一が、船大工見習いに格上げされたという。
「そいつはよかった。冥土の市蔵も喜んでいるはずだ」
「はい。おそらく——」
嘉右衛門が寂しそうな笑みを浮かべる。
「辛いのは分かる。お前にとって市蔵は、かけがえのない弟だったからな」
「へ、へい」
「気を落とすなと言っても無理な話だろうが、お前は丸尾屋の屋台骨を支えているんだ。それを忘れちゃいけねえぞ」
嘉右衛門がこくりとうなずく。
その顔つきからは、何の感情も読み取れない。
——それが職人というもんだ。
五左衛門は、職人たちとの長い付き合いを通じて、その感情を面に出さない気質を知っていた。
「少し歩かねえか」
五左衛門が先に立って汀を歩き始めると、嘉右衛門が腰をかがめるようにして続く。
「御城米船の修繕では手間を掛けた。急がせたんで、徹夜で仕上げたんだってな」
「いえ、たいしたことじゃありません」
「おかげで河村屋さんは今朝方、上機嫌で帰っていった」
「そうですか」
相変わらず嘉右衛門の口数は少ない。
「その時に、いろいろ話をしたんだがな」
五左衛門は一拍置くと、思い切って切り出した。
「河村屋さんは、塩飽の船手衆を船ごとすべて借り上げたいと言うんだ」
「すべて借り上げると——」
「ああ、西回りの御城米輸送を、わいらに委ねたいとのことだ」
これだけのことを告げても、嘉右衛門は顔色一つ変えない。
「だがわいらには、ほかに請け負っている仕事もある上、お得意さんのために買積船も出さねばならねえ。いかにお上の依頼でも、『はい、そうですか』と引き受けるわけにはいかねえ」
「ご尤もで」
「河村屋さんと算盤を弾いたんだが、江戸へ西回りで送る御城米は一年で七万五千石となる。つまり五百石積みの船が百五十隻も必要になる」
「そんな無茶な」
「無茶は分かっている。それで何か良策はないかと、河村屋さんと夜を徹して考えたんだが——」
五左衛門は一瞬、口ごもったが、思い切るように言った。
「それよりも大きい船を造れねえか」
背後を歩く嘉右衛門が立ち止まったのを、五左衛門は感じた。
「いいか、嘉右衛門、わいにも立場がある。お上の依頼を断るわけにはいかねえ。だが、お得意さんを袖にすることは商人の矜持としてできねえ。それで苦肉の策として考え出したのが新造船だ。だが、それだって五百石積みの船をいくつも造ることはできねえ」
五左衛門が声音を強める。
「清風丸が破船してしまい、わいも大損だ。死んでいった者たちの遺族への見舞金や死米定で、新たな船を造るにも元手(資金)がない。だが河村屋さんによると、元手はお上が低利で貸し出してくれる上、十年ほど城米輸送に使った船は、無償で払い下げてくれるというんだ。こんなうまい話はねえ」
それでも嘉右衛門は黙ったままだ。
「ほかの廻船問屋との争いも激しくなってきている。ここで河村屋さんと誼を通じておくことで、お上も便宜を図ってくれるはずだ。逆に断れば、何かとめんどうなことになるかもしれねえ」
嘉右衛門は何も答えず海を見ていた。
「弟を亡くしたお前の気持ちも分かる。もう大船は造りたかねえだろう。だが、ほかの商人たちに押され気味の塩飽衆にとって、これは大きな飛躍のきっかけになるかもしれねえんだ」
「で、どんだけ大きい船を造れと——」
嘉右衛門が問う。
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