厄介そうな男だな。」潮がわく海 ー4

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

塩飽諸島は、本州の備中国(岡山県)と四国の讃岐国(香川県)に挟まれた瀬戸内海のほぼ中央部に位置し、大小二十八の島々から成っている。ちょうど紀伊水道と豊後水道がぶつかり合う西にしさん瀬戸にあるため、島の間を流れる潮流が複雑に絡み合い、操船が極めて難しい海域として知られていた。

 潮の流れがあまりに激しいため、「潮がわく」という言葉がなまって塩飽になったという説もあり、それが逆に幸いし、塩飽の船子たちの操船技術は日本一とまで言われた。

 戦国時代、彼らは塩飽水軍と呼ばれ、大名から独立した勢力として、金銭契約で人馬や兵糧を運んだり、時には敵水軍と戦ったりした。その後、豊臣秀吉の傘下に入った塩飽船手衆は、関東や朝鮮半島への兵糧運搬などで豊臣軍に貢献し、秀吉から「にんみよう」と呼ばれる大名でも小名でもない独自の階級を与えられ、自治を許された。

 けいちよう五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いの時、塩飽水軍はいち早く徳川方となり、兵や兵糧の輸送に従事して勝利に貢献した。これにより公儀船方とされて千二百五十石を賜った。

 その後も、徳川家の公儀御用船手衆として大坂城や江戸城の石材の運搬などを手伝い、また天草・島原の乱では、島原半島まで迅速に兵や兵糧を送り、勝利に貢献した。これにより塩飽の島々は、代官の派遣がない完全自治となり、あらゆる税も免除された。

 この時代の少し後になるが、げんろく時代には塩飽所属の船は四百二十七隻(小船を除く)、船手衆は三千四百六十人を数え、三万石の大名と同等の動員力を持つことになる。

 丸尾屋の本拠がある牛島は、塩飽諸島の中でも四番目に小さい島で、周囲は一里(約四キロメートル)ほどしかない。しかし塩飽一の廻船問屋である丸尾屋と同業の長喜屋があるため、その人口は一千余を数え、平地はもとより山の中腹まで小さな家屋がひしめいていた。

 その男がやってきたのは、寛文十二年(一六七二)の七月だった。

 男の乗る幕府じようまいせんが引き潮で暗礁をこすって傷ついたため、修繕の必要が生じたのだ。そのため丸尾屋は先駆け船(水先案内船)を出し、御城米船を牛島まで曳航してきた。

 御城米船がやってくるという知らせを受けた五左衛門が、急いで船着場まで駆け付けると、一人の大柄な男が船から降りてきた。

 その男は御用商人らしいが、御城米船に乗っているとは思えないほど腰が低く、御城米船を曳航してきた船子にまで頭を下げている。それでも、その身なりや御城米船の船子たちの態度から、相当に重きが置かれている人物だと分かる。

 —厄介そうな男だな。

 波止で男に挨拶しようと思っていた五左衛門だが、あらためて邸内で会った方がよさそうだと思い直し、手代に案内を命じると、先に自邸に戻った。丸尾屋の邸宅は海沿いにあるので、波止とは目と鼻の先である。

 一方、傷ついた船は島の南側にある小浦の作事場に回航させた。

 丸尾屋の対面の間は、座敷ではなく卓子ときよくろく(椅子)のある洋室である。日本が鎖国状態にあるとはいえ、丸尾屋には卓子や曲彔はもとより、置き時計やタペストリーといった海外の品物も入ってくる。

 男はそこに座り、周囲をきょろきょろと見回していた。

「お待たせしました。丸尾屋五左衛門です」

「あっ、これは—」

 男は慌て者なのか、立ち上がろうとして曲彔を倒しそうになり、かろうじて手で押さえた。

「こうしたものが珍しいですか」

「はい。見たことのないものばかりで驚きました」

「畳の間にお通しした方がよろしかったですか」

「いえいえ、ここで結構です」

 そう言いながら、男は額に汗を浮かべている。

「御禁制の品々だと、お疑いでは」

めつそうもありません。たとえそうだとしても、お世話になる方を密告などいたしません」

 —存外、誠実そうだな。

 如才ないお調子者という第一印象から、きんげんじつちよくしようにんというものに男の印象が変わった。

 —だが、まだ油断はできない。

「あっ、これはご無礼つかまつりました。わいの名は—」

 男が一歩下がって、頭を下げる。

かわむらしちと申します」

「河村屋さんと—」

「はい。江戸で材木の卸売りなどをやっております」

「まさか、城米廻船の航路を開発した、あの河村屋さんで」

「へい。その河村屋です」

 少しのてらいもなく、七兵衛と名乗った男が笑う。

 五左衛門は腰を抜かすほど驚いた。

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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男たちの船出

伊東潤

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