船は海に勝てんのか。」潮がわく海 ー2

「俺はまだ終わっちゃいねえ!」 江戸時代初期、江戸の町に食糧危機が迫っていた。必要なのは物流革命の切り札「千石船」━━。 息子も居場所も仕事の誇りもすべてを失い、老いにどん底まで追い詰められた男が逆襲する! 『男たちの船出』は、イノベーションの生みだす様々なジレンマを、船大工たちの視点で描いた長編時代小説です。 (火・木 10時更新)

 午後になった。

 海は相変わらず荒れており、とても問い船(捜索船)を出せるような状況にない。

 気づくと五左衛門はおらず、日の出から船着場で沖を眺めていた面々も一人減り二人減り、残っているのは、いずれかの船に乗っている者の家族や縁者ばかりになっていた。

 —今日のところは、消息が摑めないかもしれない。

 嘉右衛門がいったん仕事場に戻ろうとした時、視線の端に何かがとらえられた。

 —あれは船か。

 ほかの者もそれを認めたらしく、「帰ってきたんと違うか」と言っては沖を指差している。

 やがて船影らしきものが、はっきりと見えてきた。

 船着場周辺は大騒ぎとなり、それぞれの仕事場に戻っていた者たちも再び駆け付けてきた。

「おとっつぁん、船が戻ってきたか!」

 弥八郎が獣のような速さで駆けてくる。

「ああ、そのようだ」

「一隻か」

「見ての通りだ」

 やがて船影がはっきりしてきた。

「あれははやまるだ!」

 戻ってきたのは、四隻の船団の一角を成す早瀬丸だった。

 早瀬丸は湾の中央辺りまで来ると、垂らしを下ろした。

 常の港の場合、(桟橋)に接岸せずに湾内に停泊して荷の積み降ろしを行うが、牛島の里浦は水深が深いため、波止の端に接岸できるようになっている。それでも接岸できるのは中型船までで、大型船は停泊せねばならない。

「よし、小船を出せ!」

 いつの間にか戻っていた五左衛門が奉公人たちに指示を出すと、すぐに丸尾屋のはんてんを着た者たちがどりぶねぎ出していく。だが風波が激しく、なかなか早瀬丸に近づけない。

 じりじりしながら見ていると、ようやく一艘が接舷に成功した。

 早瀬丸からなわばしが下ろされると、それを伝って何人かが瀬取船に乗り移った。小船は木の葉のように波間を漂いながら、浜に戻ってくる。

 やがてねずみのようになった三人の男が浜に降り立ち、五左衛門の前にはいした。

せい、よう戻った」

まげほどけて顔に掛かっていたので、はっきりとは分からないが、そのうちの一人は早瀬丸の船頭の精兵衛のようだ。

「あんた!」

 その時、背後から精兵衛の女房が飛び出した。だが、何をいても棟梁への報告を優先するのが塩飽の掟である。精兵衛の女房は、たちまちほかの女たちに取り押さえられた。

「早瀬丸沖船頭、精兵衛、戻りました」

 精兵衛が両手をついて頭を下げる。

「この荒れ方じゃ、すぐに問い船を出すことはできねえ。まずは様子を聞かせてくれ」

 五左衛門は漁師小屋に三人を導くと、網の山の上に腰を下ろした。三人は土間に正座する。

 五左衛門が合図すると、煙管キセルが渡された。

「まずは一服しろ」

「ありがとうございます」と言ってそれを受け取ると、精兵衛らは順に一服した。

「それでは聞かせてくれ」

「へい」と答えて精兵衛が状況を語り始めた。

 船団が六島の南を航行していると、突然、南西から張り出した黒雲が空を覆い始めた。事前の風雨考法(天候予測)では、「海は荒れるが、たいしたことにはならない」ということだったので、そのまま航行していると、暴風圏に入ってしまった。

 それでも船が覆るほどではないので、そのまま暴風圏を突破しようとした。だがその時、清風丸の様子がおかしいことに気づいた。

 清風丸は何らかの故障を抱えたらしく、船首の方向が定まらない。そのため横波に打たれては大きく傾き、かろうじて復原することを繰り返すようになった。

 —きっとかじそとどもだ。

 その動きからすると、舵そのものか舵を収めている外艫と呼ばれる構造物が、何らかの問題を抱えたと察せられる。

「その後、清風丸は帆を下ろし、垂らしを投げ入れて『つかし』に入りました。わいらは清風丸をえいこうできないものかと取り巻いていたんですが、海が荒れていて無理なことは明らかでした。すると清風丸の方から『先に行け』という合図が出されました」

 塩飽の船手衆の場合、船団間の意思疎通の手段として合図旗を用いる。

「それで、お前らはどうした」

「六島には蔵がないので、その北のなべしままで難を逃れ、そこでほかの二隻は船掛かりしました。そこで三隻の船頭が談合し、早瀬丸だけが荷を降ろし、少し風が収まるのを待ってから、清風丸を探しに戻ることにしました。しかし—」

 精兵衛が言葉に詰まる。

「しっかりせい」

「は、はい」と言いつつ、精兵衛が姿勢を正す。

「いいか、ここには清風丸のふなの身内もいる。皆が知りたいのは乗っているもんたちの安否だ。包み隠さず話してくれ」

「分かりました」

 精兵衛が勇を鼓すように声を振り絞る。

「清風丸は小さな岩に突っ掛かっていました」

「突っ掛かるとはどういうことだ。しようぼね入れて言え!」

「はっ、はい。清風丸は座礁していました!」

 女たちの悲鳴が聞こえ、間髪れず泣き声が続く。

「噓だ!」と一人の女がわめく。

「うちの父ちゃんの船が覆るはずがねえ!」

 戸口付近にいた女が駆け寄ろうとしたが、すぐに女房たちに取り押さえられた。

 続いて、髪を振り乱した老婆が精兵衛を指差す。

「うちのくめはちは毎朝、いけ神社の掃除をしとる。お前らが誰もせんから、粂八だけがやっとった。そんな粂八を海が持っていくわけねえ!」

 なおも迫ろうとしたので、老婆は背後から抱きとめられた。

 池神社とは、牛島の氏神をまつっている神社のことだ。

「ほかに何か見えたか」

「いえ、清風丸の木片こつぱのほかには何も—」

 精兵衛が震えた声で言う。

 船が原形をとどめていないとなると、乗り組んでいた者たちが無事のはずはない。

 嘉右衛門の胸底から、絶望感がわき上がってきた。

「船はどんくらい、形をとどめていた」

 煙管を持つ五左衛門の手が小刻みに震える。五左衛門も動揺しているのだ。

「正直申し上げて、形を成していませんでした」

 再び悲鳴と嗚咽が聞こえる。

「つまり、誰も見つけられなかったんだな」

「わいらは懸命に周囲を走り回り、一人でも浮いていないか探したんですが—」

「見つからなかったんだな」

「浮いているのは積み荷ばかりで—」

 その時の無念を思い出したのか、精兵衛が膝を叩く。

「分かった」と言うと、五左衛門は小屋の外に出た。皆がそれに続く。

 煙管を従者に渡すと、五左衛門は外に控える早瀬丸乗り組みの者たちに言った。

「皆、苦労を掛けた。まずは身内のもとに行ってやれ。真鍋島の蔵に置いてきた積み荷は、風波が収まってから取りに行け。それから真鍋島で待つ二隻と共に目的地に向かえ。捜索は風波が収まってから、わいが陣頭に立って行う」

「へい」と、早瀬丸乗り組みの面々が声を合わせる。

「あんた!」

「よかったなあ」

 早瀬丸の船子たちに家族が駆け寄る。それに対して清風丸に乗り組んでいた船子の家族は、その場に身を寄せ合って泣き崩れている。

 海の仕事に明暗は付き物だ。しかし、こうした場に幾度となく遭遇してきた嘉右衛門でも、これほどの明暗には出遭ったことがない。しかも今回は、幼い頃から共に育った弟の市蔵が帰らぬ人となったのだ。

 —お前がいなくなるなんて、わいにはぴんと来ねえ。

 悲しみはいっこうに訪れず、嘉右衛門は夢ともうつつともつかない奇妙な感覚の中にいた。

 その時、「嘉右衛門」と五左衛門の呼び掛ける声が聞こえた。

「やはり舵か外艫か」

「話を聞く限りは、そうなります。しかし舵が破損しただけなら、『つかし』はしねえと—」

「つまり、うねりの力に外艫が耐えられなかったってわけか」

 五左衛門が独白のようにつぶやく。

「定かではありませんが、そう考えるべきかと」

 漁師小屋から外に出た嘉右衛門は、無数の白波が暴れる沖を見つめた。

 —市蔵よ、外艫だろう。舵のいたが砕けたのか。それとも(舵軸)の「尻掛け(留め綱)」が外れたのか。

 少なくとも、舵が用をなさなくなったことだけは間違いない。

 —市蔵、だから言わないこっちゃねえんだ。

 嘉右衛門は、二年半ほど前の作事場でのやり取りを思い出していた。

「大坂に行く度に、船の数が増えとる」

 ほぞ穴をうがつ嘉右衛門の背後で、市蔵の声がした。

 市蔵は、所用で大坂に行ってきたばかりだった。

「そんなに増えてんのか」

 弥八郎である。市蔵は嘉右衛門に話し掛けたのではなく、弥八郎と立ち話をしているようだ。

「ああ、増えとる。大坂湾に沖掛かりしているものだけでりつすいの余地もない。これからは、もっと増えるだろう」

「てことは、どうなる」

「商いが厳しくなるだろう。かいづみだったらまだいいが、ちんづみ(請負)だと運び賃を叩かれる」

 買積とは自ら商品を仕入れて自らの判断で売買することで、賃積とは荷主から指定された場所に荷を運び運賃を得ることだ。むろん買積の方がもうかるため、丸尾屋は自前の船を使った買積を多くしようとしていた。

「商いとは難しいもんだな」

「商いは競い合いが基本だ。うま味のある商いには、すぐに競い手が現れる。そいつらと叩き合いをして、次第にもうけが薄くなっていくんだ」

「それで、もうからなくなったらどうする」

「高く売れるもんを扱うしかねえ。だが考えることは誰も同じだ。そうなれば、一隻当たりの散用(費用)を低く抑えるしかない」

「しかし、それが難しいんだろう」

 船主なら誰でも一隻当たりの費用を抑えようとする。だが給金などの費用を抑えようとすれば、それだけ船子の質が落ち、遅延や遭難の危険性が高まる。

「散用は抑えられねえ。そうなれば道は一つだ」

「何だい」

「大きい船を造ることさ」

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男たちの船出

伊東 潤
光文社
2018-10-30

コルク

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0mo_om0 「そうなれば道は一つだ」! #伊東潤 #男たちの船出 2ヶ月前 replyretweetfavorite