この中で誰が好み」禁止令

昨年までの10年間、山小屋で働いていた山ガールならぬ小屋ガールの吉玉サキさん。山小屋スタッフの人間模様や悩み、恋などをつづった1話完結のエッセイです。今回は、職場のガールズトークでありがちな、「男子の中で誰がいい?」という話題について。この話題がどうしても苦手だという吉玉さん。その理由には仲間への感謝がありました。(毎週木曜日更新)

今まで、この連載でさんざん「山小屋では恋が生まれやすい」と書いてきた。8話に書いたとおり、私も夫と山小屋で出会っているし、仲間の恋が実るたびに嬉しくなる。

そのうえで言うけれど、私は「異性のスタッフを恋愛対象としてジャッジする行為」が嫌いだ。

職場恋愛に肯定的であることと、異性スタッフを恋愛対象としてジャッジしたくないことは、私の中ではなんら矛盾しない。

私にとって、夫も含めてすべてのスタッフは仲間だ。仲間のことは、一人ひとりを尊重したい。

そこに、性別は関係ないと思っている。


ガールズトークもいいけど、礼儀をわきまえよ!

女子スタッフとふたりで掃除をしたり洗い物をしたりしていると、ついついお喋りに花が咲く。

私はそういう時間がめちゃくちゃ好きなのだけど、どうしても苦手なトークテーマがある。

それは「今年の男子スタッフの中で誰がいい?」というやつ。

これ、言う人がけっこういる。

いや、恋愛の話題が悪いとは思わない。純粋に誰かを好きという話なら、聞いていて楽しい。

だけど、「男子スタッフの中で誰がいい?」という話題は、数人のスタッフを比較するニュアンスを含む。そんな意図はなくても、自然と話が「人気ランキング」みたいな方向に行ってしまうのが嫌なのだ。

だから「そういう話やめない?」と思うけど、いかんせん気弱なのでなかなか言えない。ヘラヘラ笑って「うちのオット君以上の人なんて世界中どこ探してもいないからな~」などと逃げる。

夫には悪いが、本気でそんなことを思っているわけではない。その話題を強制終了させるため、話をのろけに持っていくだけだ。

なのに、「じゃあオットさん以外では?」「私は○○君だな~」などとその話題を継続されることがあり、困ってしまう。

あと、「○○君ってどう思う?」という質問も苦手。

そういうときに「背が高いと思う」などと答えると、必ず「そういうことじゃなくて!」とつっこまれる。

いや、わかっている。「恋愛対象としてアリかナシか?」とか、そういうことを聞かれているというのは。

わかってはいるけど、私はそういう話をしたくない。だから毎回、わざとスカした返答に逃げる。ささやかな抵抗だ。

だけど、私の抵抗はだいたい気づかれない。「私だったら付き合えないな~」「優しそうだけど、付き合ったら意外と束縛とかしそう」など、私のいちばん苦手な方向に話が向かったりする。

そういうときはもう、消え入りたいほど居心地が悪い。

イラっとして「どうも思わない。自分の男じゃねーし」と吐き捨ててしまったこともある。我ながら口が悪い。

だけど、仲間のことを異性としてジャッジするようなことはしたくないし、誰かがジャッジされているのを耳にするのも嫌。もちろん、自分が男子スタッフからジャッジされるのもまっぴらだ。

そう言うと「じゃあ職場恋愛はどうなんだ」と思われるかもしれないけど、恋とジャッジはまったくの別物だ。恋には相手への「尊重」があるけど、ジャッジにはそれがない。

本当に仲間として尊重していたら、陰でアリだのナシだの言えないと思うのだ。

他人を尊重することは最低限の礼儀だ。そこは重んじていこうぜ、と言いたい。


友人の性別を限定したくない

私が異性としてのジャッジをしない理由は、もうひとつある。

それは、友達になりたいからだ。

私は「仲間は性別に関わらず仲間だし、できる限り友情を育みたい」という価値観を持っている。30代の既婚女性にはめずらしく、ちょっと少年ジャンプ的だ。

しかし、異性の仲間を恋愛対象としてジャッジする思考は、無自覚のうちに友人を同性に限定していると思う。

想像してみてほしい。あなたのことを陰で「あの人は友達としてはアリだけど恋人としてはナシだな~」「いや、結婚相手としてもぜんぜんアリ!」などと言っている異性と、健全な友情が築けるだろうか?

少なくとも、私はそういうタイプとは友人になれない。異性と友情を築く場合、相手をジャッジしないのは大前提だと思うのだ。

この10年間、山小屋で大切な友達がたくさんできた。

山小屋は毎年スタッフの多くが入れ替わるので、続ければ続けるほど、多くの人と知り合う。下界(山小屋用語で街のこと)で遊ぶ友人の多くは、山小屋の現役スタッフか元スタッフだ。

手帳を見たら、今年に入ってすでに23人の山小屋ともだちと会っていた。

性別を気にしたことはなかったけど、23人の男女比を確認すると、女性10人・男性13人。ほとんど半々だ。

それもそのはず、山小屋は出会うスタッフの半数が異性。20人のスタッフと出会ったとしても、友人を同性に限定すると、そのうちの10人としか友人になれない。

それって、もったいないことだと思う。

人数のことを言いたいわけではない。「友人としてめちゃくちゃ気が合う人がたまたま異性である可能性」を考えたとき、それを手放すのはもったいないと思うのだ。


感謝するたび、一人ひとりを大切にしたいと思う

「ジャッジとかやめようぜ」といった主張の根底には仲間への感謝がある。

そういえばこの連載ではあまり書いたことがないけど、私はメンタルが弱く、山小屋でもことあるごとに落ち込んだ。お客様から理不尽な叱責を受けたとき、評価されないことに不満を感じたとき、うまく仕事を回せない自分の実力不足に打ちのめされたとき……。クヨクヨ落ち込んでは、仲間たちに励まされてなんとかやってきた。

だから、みんなには本当に感謝している。言わずもがな、その「みんな」の中には同性も異性もいる。

そういった経験が「性別関係なくすべての仲間を大切にしたい」といった思いになり、異性へのジャッジを嫌う思考に結びついている……ような気がする。


山小屋をやめた今も、相変わらず私は仲間に支えられている。

今年の春、私はメンタルの調子を崩してしばらく実家に帰っていた。ひどい無気力状態で、外出も、人と会うこともできない。毎日、ただぼんやりと丸まって過ごしていた。

そんなとき、山小屋で出会った友人たちからたまにLINEが届いた。

みんな、私が調子を崩していることは知らない。必ず「久しぶり。サキちゃん(さん)元気?」と聞いてくる。私はそのたびに、「実はメンタルの調子崩して実家で療養してるんだ」と正直に答えた。

みんな、それぞれに励ましの言葉をくれた。マザーテレサの言葉を引用してくれた人や、お母さんがうつ病だと打ち明けてくれた人、「これ見て元気出してください」と変顔写真を送ってくれた人、海外に住んでいるのにすぐに電話をくれた人……。

一人ひとりの気持ちが心底嬉しかったし、何度も泣いた。

誰かに恩を受けるたび、その恩を返せる人間でありたいと強く思う。

一人ひとりと誠実に向き合いたいし、誰かが困っていたら手を差し伸べたい。そこには性別なんて関係ないのだ。


気難しいと言われようと、「これだけは譲れない」という頑なな思いは誰にでもあるだろう。

私の場合はそれが、「仲間をジャッジしない」ことだ。


<次回は11月15日(木)更新予定>

イラスト:絵と図 デザイン吉田


この連載の書籍化を希望する出版社、大募集中!
(お問い合わせは support@cakes.mu まで)


吉玉サキさんのエッセイをもっと読みたい方はこちら

この連載について

初回を読む
小屋ガール通信

吉玉サキ

第2回cakesクリエイターコンテスト受賞作! 新卒で入った会社を数ヶ月で辞めてニート状態になり、自分のことを「社会不適合者」と思っていた23歳の女性が向かった新天地は山小屋のアルバイト。それまで一度も本格的な登山をしたことのなかった...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

jimapahinasu 私も人をこういうジャッジするの苦手…そんなのなしで仲良くなりたいわい〜 7ヶ月前 replyretweetfavorite

sudachitt 分かる、異性をジャッジするのわたしも本当に嫌い 仲間内の「あの人イケメン」とかって類の話も本当に苦手、わたしも相手にそんな話されてたら嫌だもん 7ヶ月前 replyretweetfavorite

SchwarzKatz これわかるー!異性の友人はあくまでも友人で、同性の友人と同じ。 7ヶ月前 replyretweetfavorite

lovebazooka 苦手というか意味がわからない。尊重するとかしないとか以前に、恋愛対象って通常ひとりじゃないのん? https://t.co/FIzmgDinU6 7ヶ月前 replyretweetfavorite