電気サーカス 第1回

まだ高速デジタル回線も常時接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。“テキストサイト”という個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた。このお話の主人公“僕”もその一人だった――。

   序 前口上

 左腕の皮膚が僅かに緑がかっている。机の上にこう右腕と並べて比較すると、くすんでいるような気がする。思うにこれは心臓が悪いのだ。血液が均一に行き渡らず、右側に偏っているから左側が暗くなるのだろう。家系的に心臓が弱く、その周辺部位の失調によって近い親戚が何人か死んでいたっけ。僕の肉体もその遺伝子を受け継いでいる。
 夕に食った生魚が喉の奥から臭った。窓の外では月が青褪めている。そうして、ひどく寒かった。まだそこまで冷える季節ではないのに、どうしてこの部屋はこんなに寒いのだろう? こんなに冷えたら感冒に罹ってしまう。病気なんぞになったところで、いいことなんぞ、ひとっつもないというのに。
 この稿の主人公たるこの僕は、エアコンのスイッチをいれて、部屋が暖まるのを待っていた。すると、窓の外から声が聞こえて来る。どうやら酔っぱらいのグループが表の道路に通りかかったらしい。僕と同じ位の年頃だろう。若い男女が辺りを憚らない大声で笑い合っている。
 僕は椅子の上で息を潜めるようにして、彼らが過ぎ去るのをじっと待った。椅子の上で、膝を抱いてじりじりとしている僕をよそに、彼らは談笑しながらゆっくりと歩いて行く。
 やがて完全に通り過ぎ何も聞こえなくなると、僕は小さくため息をつき、パソコンを起動した。微かにファンの回転する音がして、青いデスクトップ画面が表示されると、僕はマウスを操作してダイヤルアップ接続を選択する。モデムがデータを受信するFAXのような音を立ててアクセスポイントとの通信を開始する。
 インターネットというものは実に面白いもので、気がつけば僕もすっかり電網中毒者になり果てていた。午後十一時を回り、通信料が無料になるとインターネットに接続し、明け方まで繋いでいる。時には十一時を待てず、繋いでしまうこともある。とにかくほとんど毎日、繋いでいる。
 最初は女の裸体の画像ばかり集めていたが、ああいうのはいくつ見たところでそう代わり映えするものでもない。すぐに飽きて、個人のサイトを見るようになった。
 インターネット上で何かを表現するというのは随分と手軽なものらしく、たとえば主婦が可愛い子猫のミイちゃんの日々を報告したり、若い女が自分の手首を切り刻んで血みどろの画像にポエムを添えて掲載したり、どこぞの学生が世の中への恨みつらみを衒学的な文章で書き綴ったりしている。彼らは誰に頼まれたわけでもないのに毎日のように、情熱を込めて更新し、それがなにやら楽しそうだったので、自分でもやってみたくなった。これが全てのはじまりだ。
 そうして、思い立ったその日のうちに無料のウェブスペースを借りた。文章を書くのはもともと好きだったから、文字を掲載するサイトにするのはすぐに決まった。HTMLの知識も多少あったから、文章中心のシンプルなサイトを作るだけならネット上の資料を参照すればさほど苦労することもない。テキストエディタでテスト用のファイルを作り、これを画面の指示に従ってアップロードする。自分の書いた文字がインターネット上に公開されたのをはじめて確認したときは、おお、と素直に嬉しかったものだ。
 ここまでは順調だったのだけれど、ここからがなかなか進まない。フォントサイズを決め、レイアウトを決め、サイトのかたちは出来たものの、そこに盛るべき中身が見つからない。つまり何を書くかが決まらない。
 さて、どうしたものだろう? 小説を読むのは好きだし、学生の頃に書いたこともあるが、あれは若気の至りというものだ。鑑賞に耐えうるものでもない。それに、インターネットというものはドキュメンタリズムの世界だと思うから、創作物の掲載はちょっと違うのではないかという気もする。
 かといって創作以外となると、それはそれで困ってしまう。僕にはためになる専門知識もなければ、紹介したくなるような可愛いペットもいない。カッターナイフで手首を切るといったような体を張った芸も持ち合わせておらず、世間に打ち出したくてたまらぬ燃えるような情熱に満ちた主義や主張も存在しないのだ。

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この連載について

電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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