愛がどうのより、自分が納得できればそれでいい
田房永子(以下、田房) 会場からの質問を読みますね。ええと、「瀧波先生に不躾ながら質問です。お母さんが亡くなって、その後の気持ちの変化はいかがですか?」
瀧波ユカリ(以下、瀧波) 本を描いて形になっちゃったからっていうのもあるんですけど、その後、目に見えた大きな変化はないかなあ。母のことで根に持ってることもあるにはあるんですけど、自分が35歳過ぎて以降、執着心とか恨みとか、そういうのは薄くなっていってる気がする。加齢? 加齢のせいなのかな?
田房 あ、それは私もあるかも。
瀧波 もし、もっと若い時だったら、気持ちの整理がつかなかったり、死んでも母を許せないって思ってたかもしれない。あと、私は母と一緒に住んでなかったから、思い出すきっかけになる遺品とかモノが身近にあまりないから、日常の中に入ってこない。
田房 いい感じですか?
瀧波 うん、さっぱりしてますね。だからと言って、美化もされませんけど。ひとつ心残りだったのは、私が今住んでいる部屋に母が入ったことがないってことでした。私と母はよくケンカしてたから、道内同士なのに母はたぶん遠慮して来なかったんですね。その後、母は病気になって大阪に移って亡くなったので、「入れてあげればよかったな」って、激しくはないけど、少しだけ後悔してて。
田房 そっか。
瀧波 それで、亡くなってからある日ふと、頭の中で想像すればいいんじゃないかなって気づいたんですね。母ひとりでよこすのはちょっと重かったので(笑)、ついでだから、10年前に死んだ父親と、死んだパグ犬もいっしょに3人セットにして、玄関を開けるところからはじめて、部屋のソファに座ってもらってお茶出して、私と夫と子供と父と母と、あと犬が、話をしているところを漠然とイメージして。
田房 ああ、うんうん。
瀧波 それで、母たちがどこに帰るかわかんないけど、「じゃあね、バイバイ」ってところまで想像したら、なんか気がすんだんです。なにかが解決したわけじゃないけど、やるのとやらないのとじゃなんか違うなーって思います。
田房 すっごくよくわかります。結局、愛がどうのってことじゃなくて、すべては納得できるかどうか一択じゃないですか? 親子関係に限らず、みんなが納得できればなんでも解決できるし、みんな納得したくて動いてる気がする。
だから、瀧波さんみたいに、相手がいなくても頭の中で納得できたら、その関係は現実と変わりがない状態になるんだって私は信じてます。私もよくそれやりますもん。
母親を恨んで恨んで飽きるまで
田房 次の質問です。「お母さんを恨むのに飽きたきっかけ、および恨むことを飽きるに有効だったことをお伺いしたいです」
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。