その狂騒の中、コーギーは扉の前に留まり、エクスペダイトが出てくるのを待った。なぜエクスペダイトは金を持って、一人で逃げなかったのか。彼は、それができるのにしなかった。どうしてなのか、コーギーは教えてもらいたかった。
「おい、タック。なんでおまえは、ここに残っているんだ」
鞄を持ち、扉から出てきたエクスペダイトは、扉の陰にいたコーギーに、いぶかしげに聞いた。
「ねえ、エクスペダイト。なぜ、誰にも告げずに金を持って逃げなかったの。なぜ、行き場のない少年たちに、寝る場所と仕事と食事を与えていたの。なぜ、子供たちと古いゲームをしていたの」
質問すると、エクスペダイトは腹を抱えて笑いだした。
「以前言っただろう。俺の理不尽な部分だよ」
「だから、その行動の理由を知りたいんだ」
父や家族から逃げた自分。その自分に手を差し伸べてくれた男。その相手のことを、もっと深く理解したかった。
「はっ」
エクスペダイトは鼻で笑う。
「俺の親父はろくでなしでな。働かない、酒浸り、暴力を振るうの三拍子だった。だが、俺とゲームをしているときだけは、いい親父だった。俺にとっての楽しい思い出だよ。
別に親父との体験でなくてもいいんだがな。成長する過程で得たかけがえのない記憶。人によっては、それが野球だったり、フットボールだったりする。小説だったり、映画だったりもする。家族だったり、友人だったり、地域のコミュニティだったり、教会だったり、人それぞれさ。
人は誰でも、自分がいいと思ったものを、他人と共有しようとするものだろう。その気持ちを否定しなくてもいいはずだ。あとは自分で考えな」
完全な答えではなかった。だが、感じることはできた。おそらくエクスペダイトは、自分を肯定するために生きているのだろう。
「タック、おまえとの付き合いは、短かったが楽しかったぜ。悪事に荷担しながらも、ワルに染まらないその精神。おまえのまっすぐなところは俺も好きだったぜ」
エクスペダイトは珍しくゆっくり、名残惜しそうに階段を下りた。コーギーも、うしろ髪を引かれながら建物をあとにした。本当は、もっといろんなことをエクスペダイトに習いたかった。しかし、それももう叶わない。道路に出て、廃墟のような町の様子を見ながら、これからどうするか考える。ここで現金を持ったままうろうろすれば、あっという間に他の誰かに奪われてしまう。まっすぐに駅に向かおう。旅が終わった気がした。このまま一人で放浪することに意味を見いだせなかった。帰ることを思い立つ。魔法が解けたようだった。
コーギーは、クリスマス前の街を駆ける。マンションに着き、エレベーターに乗る。ホームステイしていた部屋の前に座り、家人の帰宅を待った。夕方になり、その家の女性が帰宅して、驚きの声を上げた。すぐに実家にも連絡がいき、父親と母親が迎えに来た。二人は涙を流し、狼狽していた。父がここまで感情を露わにするところを、コーギーは見たことがなかった。突然の帰還。謎の大金。コーギーは、行方不明のあいだのことを一切話さなかった。金の出所も明かさなかった。
「なぜ、突然いなくなったんだ。消えていたあいだ、なにがあったんだ」
ニューヨークのマンションのリビングで、父が膝を突いて尋ねてきた。答えは心の中から消えていた。残像のようななにかが残っているだけだった。そうした心の中から、言うべき言葉を探して父に伝えようとする。
「父さんとは一緒に暮らせない。そのことを直接伝えてから出て行けばよかった」
困惑した様子の父と、納得した様子の母の姿があった。
「家に戻ってきなさい」
父の言葉に、首を横に振る。緊張した空気が、リビングの中で渦を巻く。これまでずっと父に従っていた母は、息子を祖父に預けるのはどうかと夫に提案した。
雪が庭に折り重なる景色を見ながら、縁側で将棋を指している。ガラス戸と暖房のおかげで、寒さは足下まで忍び込んでいない。コーギーは将棋盤をはさみ、祖父と向かい合っている。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。