ポリアモリーに踏み出せる人とそうでない人の違い

複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイル「ポリアモリー」。当事者のきのコさんは、ポリアモリーに踏み出せない方からの相談をよくいただくのだそう。ポリアモリーに踏み出せる人と踏み出せない人の差はどのようなものなのでしょうか?


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「今は浮気してしまっているのですが、本当は全員の合意を得てポリアモリーな関係を築きたいと思っています。でも、パートナーに言いだせずに悩んでいます。どうすればいいでしょうか……」

最近、こういったご相談をよく頂きます。

そのたびに、ポリアモリーに踏み出せる人と踏み出せない人……というか、「他にも好きな人ができた」とか「できるかもしれない」というような会話を、パートナーとできる人とできない人の違いって何だろう?と考えます。

ポリアモリーにおいてはパートナーとのコミュニケーションが大切です。そして、よいコミュニケーションのためにはパートナーを信頼して尊重できることが大切、そのためにはそもそも自分自身を信頼して尊重できることが大切、と思っています。つまり、健全な自己肯定感をもっていないと、パートナーの意見に流されて自分の気持ちを抑えつけてしまったり、逆に自分の意見をパートナーに押しつけてしまったりして、対等なコミュニケーションができないのではないでしょうか。

というわけで今回は、自己肯定感について考えてみたいと思います。

私の自己肯定感が高い理由

私自身は、今はわりと自己肯定感の高い人間だと思います。

とはいえ、他人よりずば抜けて優れているとか、非の打ちどころのない人間だというわけではありません。自分自身を、「困ったところもあるけど、なんか憎めないやつ」みたいな目で見ています。

母親の育て方が上手かったからかも知れません。今でも母親に、「お母さんって素晴らしいわ~。だって私みたいな素晴らしい人間を育てたんだもの」としょっちゅう言っています。

私の母親は、私が小さい頃から「君は、変なやつだけど、いいやつだよ」とよく言っていました。私はこれを聞いて、「そうか、私は変なやつだけど、いいやつなんだ!」と思って大きくなりました。

いま思えば、この表現はうまいな!と思います。「あなたは正しい」と言われながら育ったら、もしかしたら私は「私は正しいけど、あいつは間違ってる」と他人をバカにしたり、正しさを振りかざして“こうあるべき”で他人を殴るような人間になっていたかもしれません。「変なやつだけど、いいやつだよ」と言われていたことで、なんというか、「変なやつ」であることと「いいやつ」であることは両立するんだな、と思えるようになった気がします。だから、「変なやつ」である自分のことを、回りまわって「変だけど、まぁいいか」と思う。自分だけでなく、他人のことも、「あいつも変なやつだけど、でも、いいやつかも」という気持ちで見るようになりました。

「自分勝手」や「自己正当化」とは違う
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わたし、恋人が2人います。

きのコ

「ポリアモリー」という言葉をご存じでしょうか? ポリアモリー(複数愛)とは、複数の人と同時に、それぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイルのことをいいます。浮気でも不倫でも二股でもない「誠実で正直な複数恋愛」とはどのようなものなの...もっと読む

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コメント

HACO_HIAYUSA 「ポール・モーリアに踏み出せる人とそうでない人の違い」に見えた。 2年弱前 replyretweetfavorite