親譲りのぽっちゃり体型で、子供の頃から暴飲暴食ばかりしている。父親は柔道部出身、会社では女子社員に「岡田さん、トトロ(大)みたーい」「癒されるー」とモテまくり、体重が二桁になれば「激痩せ!」とはしゃぐ男。母親は上京して生まれて初めてデートでピザハウスに入り、「岡田さん、アメリカ人みたーい」「この人についてけば一生おいしいもの食べられるー」と結婚を決めた女。その後、ともに渡米し「私の血にはコーラが流れているの」と言わんばかりの見事なスーパーサイズになって帰国した、戦争を知らない昭和20年代生まれである。
子供の私はそんな両親の食生活を、祖父母の代までの遺伝子よりも濃く継承した。病的な肥満ではないが、幼い頃から全体的に骨太で、肉付きがミッシリしている。昔の幼馴染と並んだ幼女期の写真からして、背格好がほぼ同じなのに手足の太さや顔の円周が倍近く、レゴブロックの人形の中に一つだけデュプロの人形が混じっているような歪さが感じられる。
ほっとくと日本人離れしたデブになる、というのは、世界に冠たる美食の魔都トーキョーで、飽食の快楽とともに授けられた原罪のようなものだ。数種類のスナック菓子といただきものの焼き菓子と炭酸飲料が常備され、濃いめ濃いめに煮付けられたあまじょっぱいおふくろの味が食卓に並び、度数の高い酒がボトル単位でぱかぱか空き、毎週の『料理の鉄人』を観ながら、トリュフとフォアグラから漂うバブルの残り香をオカズに「鰻の嗅ぎ賃」よろしく深夜23時台の白飯おかわり。実家での食生活は、文字通り酒池肉林であった。旧約聖書の時代なら滅びの火で焼き尽くされるところだ。
アメリカンドリームに魂を売り渡した両親によるバタくさい習慣は精神教育にまで及ぶ。ナチュラル、ユニーク、セルフエスティームといった聖句をひもとき、独自の解釈を身につけた私は、「そりゃま、これだけ食べたら太るのは当たり前よねー」「たぶんイタリア辺りではこのくらい豊満なほうがモテる、知らんけど」「自分を愛せない女は誰からも愛されないわー」などと自分自身に説教することで、「お前、要するにただのデブじゃね?」なる異端審問を免れ続けてきた。
そんな私が今、生まれて初めて、ダイエットというものに挑戦している。やはり反グローバリゼーション的見地からドナルドマクドナルド総帥率いるアメリカ帝国主義にはそろそろ終止符が打たれるべきだと思った、……わけではとくになく、まぁ、すべてを包み込む私の寛く大きな心を持ってしても、やっぱりセルフエスティームの許容量限界を超えたからである。
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