ハンドサインは突然に
鬱病を患っていた時期がある。正確には現在も私の中にその芽は残っており、通院や投薬治療はしていないものの注視とケアが必要な状態ではあるが、とりあえず二十代の前半から半ばまでは、じゃっかん大変な状態だった。
当時は実家で暮らしていたのだが、最初に気付いた症状のようなものが「手が使えない」だった。朝起きて歯を磨こうと歯ブラシを握るが、次のアクションが起こせない。歯磨き粉をつけて口の中に突っ込んで磨くという作業ができない。結局歯磨きも洗顔もしないままにしてしまう。風呂にも入れなくなる。服を脱ごうとすると途中でいきなり気力が尽きて、Tシャツを頭にひっかけたジャミラ状態のまま脱衣場で数十分以上ぼーっと突っ立ってしまうのだ。そのまま諦めて、何日も風呂に入らないまま過ごしてしまう。
不思議なことに、家の手伝いとか前の職場から委託で請けていたライターの仕事なんかはそれまで通りにできるのである。でも、自分の身体をケアするために手を使おうとすると途端におっくうになって、身体が言うことをきかなくなる。元からそんなにマジメにやってなかったスキンケアを始め、服を着替えたり髪をとかしたりたくさん開けていたピアス穴を手入れしたりということが出来なくなってしまった。腹の立つことにメシだけは食えたうえに異様に飢餓感があり、カレースプーンで毎日白米にマヨネーズとか醤油をかけたものをわしわし食っていた。この時期に体重が一気に四十キロほど増え、そのままなかなか元に戻らないまま今に至っている。
私の手がささやいていた
いきなりハーコーな病歴告白をしてしまったが、そういう事があって以来、自分の手には注意している。アタマで自覚的に考えていることってわりとアテにならなくて、身体のほうがいち早くSOSを出すことがある。あのときの私の手は「あんさん、ちょっとアタマの大将がおかしな事になっとりまっせ!」と必死に伝えようとしていたのだと思う。
しかし振り返ってみると、当時の私の脳みそは「セルフケア」と「それ以外」の手作業を別物と分類していたことになる。後日鬱病に関する本を読んだら、やはり症状のひとつとして身だしなみを整えたり怪我や病気の手当を自分でしなくなるというのがあるらしく、あのへんでヤバいなと思って病院に行ったのは間違いではなかったと思った(その後もいろいろ大変でしたが)。
手しごといっぽん
もとから身だしなみにマメなタイプでは全くないし、今でも締切がヤバい時とか平気で一週間風呂入らなかったりしますけど、手で自分の世話をするとか、もっと単純にただ自分で自分に触れるということは、精神の具合のバロメーターになってるなと今でも思う。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。