結婚が家同士の結びつきなどと言われていたのは、大昔の話。平成の世も終焉が近づき、結婚がカジュアルになってきたり、あるいは結婚に重きを置かないフラットな生き方が推奨されてきたり、人とのつながりも多様化しつつある。しかし、人生で一度はやってみたいランキングの上位に食い込むのもまた、結婚だろう。
恋と結婚の違いは?
恋と結婚の違いは、しがらみの差だ。恋人との別れは、痛みと悲しみといった感情で割り切れる。長い春だった場合は人間関係の整理も必要かもしれないが、書類やら印鑑やら家庭裁判所などが絡む事例は少ないだろう。結婚はどうかというと、感情よりも先に世間体や社会性といった問題が取り沙汰され、結局いろいろ面倒臭くなって、しかたなく夫婦を継続するパターンはめずらしくない。結婚は人生の墓場だと言われる所以がこれかな、とつい肩を落としてしまう。
そして、恋というわりと狭くて濃くて激流や津波のような愛から、家族愛や人間愛といった広くて穏やかなさざ波のような愛に形を変えていくのも結婚の特徴だ。その裏で、確固たる自己愛が生まれるのもまた、結婚の副産物だと思う。
「自己愛が生まれる」というのは、ひらたく言うと、自分のことが大好きになって、「自分が一番!」と思うことだ。
夫の目に映る自分のイメージを死守したい
そう、結婚してから私は自己愛の塊になった。それはあなたに子供がいないからだよ、と反論されそうだが、子供は無関係だ。子供がいたらいたで、やはり自己愛は増大する。なぜなら、結婚すれば自分の面が増え、子供の数だけさらに面が増える。面とは、多面体の一面、いわば鏡のようなものだ。人間は誰もが鏡でできた多面体で、接する人によって面が増える。結婚したら、夫は自分を映す最たる鏡となり、子供はその次の鏡になる。
私は結婚してから、夫の目に映る自分のイメージを守りたいと思うようになった。夫ではなく、夫の目に映る自分のイメージを死守したいのだ。子供がいる方は、夫のよりも子供の目に映る自分のイメージを守りたいと願うのではないか。可愛いママ、やさしいママ、きれいなママ等々。あなたの子供が可愛いのは、あなたの子供の目に映るあなたが可愛いからである。子供にとって可愛いママであるあなたの目には、可愛い子供が映るだろう。
永遠の愛を誓ったはずの夫に愛されているはずの自分を確保できれば、女の日常は充実する。永遠の愛を誓ったはずの夫との愛の結晶を生んだ自分を確保できれば、母としての日常は充実する。夫のため、子供のため、というのは自分を弁護するいいわけだ。人のために身を削っている、健気な自分を好んでそうしているのだ。それって究極の自己愛だなと日々感心している。徳を積め、とはよく言ったものだ。徳はつまり、自分に積んでいるのだもの。
お弁当をつくるのは夫のためではない
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