玉子とか目玉はとろりと滞りジュラ紀の竜の記憶のように
わたしはヴィーガンという、極端なベジタリアンだ。目のあるものは食べない。
わたしは常に孤食だ。
誰かの目に見られて、気遣われたり気遣ったりしたくないのだ。
「マグロの目玉を食べると頭が良くなる」というのが母の信条だった。
お母さん子の妹は、母を信じてマグロの目玉ばかり食べていた。
母と妹が失踪したのは、わたしが二十歳になる年の、端午の節句の日だった。
わたしはまず、鯉のぼりの目を探した。
そこにいるんじゃないかと思って。
それになっているんじゃないかと思って。
ただ、鯉のぼりはもう、都会では絶滅種だった。
母の故郷の町に行くことにした。
都心から電車で二時間のその町では、川の上に五千匹の鯉のぼりを流して、それを観光資源にしているのだった。
わたしは、川の下流から上流へと歩を進め、鯉のぼりを一匹一匹見ていった。
そして、4493匹目に母を見つけた。もちろん、4494匹目が妹だった。
二匹だけが、目がマグロだった。
わたしは「二人」に気づかないふりをした。
幸福そうに揺れる鯉のぼりたちにマグロの目をした母子が混じって。
その周りだけ海のようで。
「親潮は冷たい」という言葉が頭に甦った。それは中学の地理の勉強で、日本列島の周囲の海流の暗記のための語呂合わせだったのだけれど。
親潮は寒流だったからなのだけれど。
「親潮は冷たい」は言葉の意外な組み合わせのはずだったのだけれど。
その頃のわたしは終始、「親は冷たい」と感じていた。
妹ばかり可愛がる母。わたしをいないかのごとく無視して。
二人の世界を作って。
同じ物を食べ続け、同じ顔つき、同じ言葉遣い、同じ仕草になっていった母と妹。
とうとう、同じ生き物になって。
自分を激しく取り戻したくて、わたしはグリーンを大量摂取する。
まず小松菜のジュース。そして、ほうれん草のポタージュ。それから、茹でたブロッコリー……。
わたしはこれらの緑に目がない。
わたしは、草食動物というより、植物に近くなってきている。
目に余る天井や壁の木の節の目たちに見られながら目を閉じる
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