一噛みで個体から液体が出る生物またはウイスキーボンボン
「蓼科(たてしな)さんが来る」と聞くと、姉はそわそわし始めた。服を選び始め、口紅と自分専用のボディーソープを新しく買う。
蓼科さんは母の顧客だ。母は生命保険の営業で姉とわたしを育ててきた。
父はわたしが五歳の時にスナックの女の人と出奔したのだという。
母からは一度も聞いていないが、父の出奔当時小学五年生だった姉からは、何度も何度も聞いていた。
蓼科さんは、母とわたしに挨拶をしてから、姉を連れ出す。
母はうつむいていて、二人が出ていくと蓼科さんからの贈り物の箱を開ける。
必ずウイスキーボンボンが入っている。
蓼科さんの会社の人気商品なのだ。
そのウイスキーボンボンを食べると、必ず見えるものがある。
父の居場所だ。
父は、知らない女の人と暮らしている。
今日、父の居場所に蓼科さんが訪れた。
蓼科さんは父と同居の女の人の顧客だ。
蓼科さんは父にも贈り物をした。
蓼科さんと女の人は外出する。
一人残された父は箱を開ける。
ウイスキーボンボンが入っている。
父がウイスキーボンボンを口にする。
口中で、何かが体験され始め、そして名残惜しく終わってゆく。
父が何かの気配を感じてこちらを見る。
父とわたしの目が合った。
琥珀色をしたものは時間の化石でノスタルジーの燃料である
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