ある男

ある男(36)

愛したはずの夫は、まったくの別人であった。
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から「ある男」についての奇妙な相談を受ける。 人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。 「ある男」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。 「マチネの終わりに」から2年。平野啓一郎の新たなる代表作!(毎日10時更新)

 Yoichi Furusawaからは、翌日の午前二時過ぎに返事が来た。寝ていた城戸は、朝になってフェイスブックの新着メッセージに気がつき、思わず、「おお、……」と声が漏れた。

 当然のことだが、非常な警戒心で、平静を装いつつ、動揺を隠せぬ様子だった。

 城戸も、ここに至って、ようやく美涼の直感を共有した。つまり、この「代理人」は、恐らくは「曾根崎義彦」、つまりは、探し続けてきた谷口大祐なのだろう。そうして見ると、偽名を初めとする彼の小細工の不器用さが、ありありと看て取れて、少しく同情的な気持ちになった。

 Yoichi Furusawaは、まず彼が弁護士だということが信用できないと書いていた。確かにリンク先には、城戸章良という弁護士がいるが、それがあなたと同一人物であると、どうして証明できるのか、と。それに、「S.Y.」とイニシャルで書いているのは、一体誰のことなのか。「谷口大祐」のアカウントの開設者は誰なのか。どのような関係なのか、云々。……

 城戸は、スカイプでのやりとりを提案した。こちらの顔が見えれば、自分が確かに城戸章良であることを理解してもらえると思う。そちらの映像はオフにして、音声だけで構わない。出来れば「S.Y.」氏と直接やりとりしたいが、一度、Yoichi Furusawaさんの方で、確認してもらってからで構わないと書いた。

 メッセージはすぐに読まれたようだったが、返信は夕方届いた。日中は仕事をしているのであろうと想像されるような沈黙だった。

 内容はこうだった。自分が誰の「代理人」かは言えないが、依頼人は、「谷口大祐」のアカウントを消去したがっているし、谷口大祐の死亡についても知りたい。ついては、今日の午後十一時にスカイプに連絡する、と。


 城戸は、どんな服を着るべきか迷ったが、結局、ワイシャツにジャケットという、普段の職場の格好にした。入浴を済ませ、颯太を寝かしつけたあとに、アイロンのかかったシャツに袖を通すのも妙な感じだった。

 午後十一時を五分ほど回ったところで、Yoichi Furusawaからの着信があった。

「はい、こんばんは。城戸です。……もしもし?」

「……。」

「フルサワさんですか? こちら、見えます?」

 初対面の依頼人と接する時のように、城戸は笑顔に満たない程度に表情を和らげた。

 反応がなかった。一瞬、切られてしまって、もう二度と接触が出来ないのではと心配になった。

「城戸です、見えますか? フル……」

「はい、……見えてます。」

「あ、……」

 城戸は、真っ暗な画面の向こうから聞こえてきた、その震えるような一声に慄然とした。

 これが、一年以上にも亘って探し続けてきた、本物の谷口大祐なのだろうか? 固唾を呑み、返事をしなければと、相手を怯えさせないように爽快に応じた。

「見えてますか?」

「はい。」

「よかったです、ご連絡いただけて。ありがとうございます。」

「いえ、……」

 声の背後は静まり返っていて、狭い一人住まいのアパートのような反響があった。

 中年らしいくぐもった声だが、わざとこわを変えようとしているようなぎこちなさを感じた。フェイスブックのメッセージの文面は些か厳めしかったが、電話口では、臆病な猜疑心を隠しおおせない様子だった。それが、滑稽な感じがし、また何となく哀れを誘った。城戸は不意に、マイケル・シェンカーのファンなら「絶対いいヤツ」に違いないという、中北の断言を思い出した。

 単刀直入に「曾根崎義彦さんの代理人をされてるんですよね?」と尋ねると、「……はい。」とあっさり応じた。

 城戸は、拍子抜けしつつ、あまりに頼りないので、ひょっとすると本人ではなく、友達か何かなのだろうかと今度は逆の疑いを持った。

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文藝春秋
2018-09-28

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