富野由悠季の絵コンテマン時代 ~ニュータイプのアニメ、『機動戦士ガンダム』②~

2010年代に入ってから、ウルトラシリーズ、仮面ライダー、ヤマト、ガンダム、あるいは「ベルばら」「ポーの一族」などが次々と40、50周年を迎えている。それらはみな、単に昔のものとしてあるだけでなく、現役のコンテンツとして新作が発表され、映像化、舞台化されている。逆算すれば分かるが、これらの大半は1970年代に始まった。 1960年に生まれ、アニメ、特撮ものを最初期からテレビで見ていた中川右介(作家、編集者)が「リアルタイムの記憶を基にして目撃譚」として描くサブカル勃興史。

「記憶をたどりながら書きますが、公にするからには、記憶にだけ頼り、間違ったことを書いてはいかないので、改めて調べ、事実確認をして書きます。歴史家的視点と、当時の少年視聴者・読者としての記憶とを融合させ、「読者・視聴者としてサブカル勃興期を体験した者が書く歴史」を提示したいと思います。(筆者)

●「アニメの原作者」

1977年4月スタートのサンライズ自社制作第1作である『無敵超人ザンボット3』は、原作が鈴木良武と富野喜幸、総監督が富野喜幸、キャラクターデザインが安彦良和、メカニカルデザインは平山良二、デザイン協力がスタジオぬえという布陣となった。脚本は何人かの脚本家が富野の設定したストーリーに従って書いていた。

この枠の第2作が『無敵鋼人ダイターン3』で78年6月から79年3月まで放映された。原作は矢立肇と富野喜幸、総監督は富野喜幸、キャラクターデザインは塩山紀生と小国一和、メカニカルデザインは大河原邦男だった。第3作『機動戦士ガンダム』も、原作は矢立肇と富野喜幸、総監督は富野喜幸、キャラクターデザインは安彦良和、メカザインは大河原邦男である。

すべてに原作者とクレジットされている「矢立肇」は個人のペンネームではなく、サンライズ企画部のことだった。実質的には1980年代半ばまでは、同社取締役企画部長だった山浦栄二(87年から社長)のこととされるが、公式には認められていない。

『宇宙戦艦ヤマト』もそうだったが、アニメは何人もが企画段階から関わり、「世界」を構築していく。したがって、既存のマンガや小説のアニメ化ではないオリジナルアニメには、神のようにひとりですべてを作る手塚治虫タイプの「原作者」は存在しない。

だが原作者がいないと、玩具をはじめとした二次使用の場合、原作の著作権が誰(個人と企業)にあるのかという問題が発生する。原作の権利を一部でもサンライズが持つために、「原作・矢立肇」というクレジットが生み出されたのではないだろうか。

虫プロが手塚治虫のマンガを「原作」にしてテレビアニメを作ったことで、「アニメの原作者」なる概念が生まれたが、石ノ森章太郎が仮面ライダー・シリーズすべての「原作者」になったことで、その概念が変化した。1970年代は、アニメ・特撮ものの「原作者」概念が劇的に変わっていく10年だった。そのひとつの結果として、制作会社が1円でも多く収入を得るための架空の原作者が必要となったのだ。富野が「矢立」との共同名義に異を唱えていないのは、彼自身が『ガンダム』を含めて、自分ひとりで生み出したものではないことを理解しているからだろう。

オリジナル作品なのに「原作者」を置くことで、アニメでは脚本家の地位が相対的に低くなったとも言える。同時期テレビドラマの世界では、原作ものよりもオリジナルが主流となり、なかでも倉本聰、山田太一、向田邦子といった脚本家が「作家」としてもてはやされるようになっていた。それと比べると、アニメの脚本家は存在感がない。

富野はアニメの原作者の意味を変えただけでなく、さらに「アニメの監督」も再定義していく。

●富野由悠季がアニメ監督になるまで

富野喜幸(現在は富野由悠季)は『宇宙戦艦ヤマト』の章にも登場したが、改めて経歴を記す。戦中の1941年に神奈川県小田原市に生まれた。宮崎駿も同年に生まれている。父は軍で零戦の与圧服の開発をしていた。小学生時代に『アトム大使』を読んだのが手塚治虫との出会いになる。『アトム大使』が「少年」に連載されたのは1951年4月号からだから、富野が10歳の年だ。

富野は画家になりたかったそうだが、映画へと関心が移り、1960年に日本大学芸術学部映画科に入学した。卒業した1964年はすでに映画界の斜陽化が始まっており、東宝、松竹、東映などの大映画会社は新卒者の採用を控えていた。といって、映画科卒業では映画界以外には就職できそうもない。すると虫プロが公募していたので採用試験を受けて、1964年3月に入社した。同期で入社したひとりが高橋良輔だった。当時の虫プロは『鉄腕アトム』が放映2年目に入ったところだ。

富野が最初に演出したのが、64年11月28日放映の『鉄腕アトム』第96話「ロボットヒューチャー」で、「新田修介」名義で脚本も書き、絵コンテも描き、演出した。その後も虫プロでは『鉄腕アトム』や『リボンの騎士』を何本も演出していたが、1967年3月をもって退社し、フリーになった。66年12月で『鉄腕アトム』が終了したからだと、当人は語っているが、終了後、数か月はいたことになる。

虫プロ退社後、富野は東京デザイナー学院の講師をしながら、オオタキ・プロダクション(シノ・プロ)でCM制作の仕事をしていたが、68年にアニメの世界へ復帰した。各プロダクションをまわり、絵コンテの仕事をこなしていき、後に「絵コンテ千本切り」「さすらいの絵コンテマン」時代と呼ばれる。そのジャンルはありとあらゆるアニメと言ってよく、『巨人の星』もあれば『ど根性ガエル』『いなかっぺ大将』もあり、「世界名作劇場」の『フランダースの犬』、『母をたずねて三千里』もあれば、『どろろ』『ムーミン』『あしたのジョー』など、古巣の虫プロのものもある。また創映社時代のサンライズの『ハセドン』では絵コンテを何本か担当し、『ゼロテスター』では演出も担当した。

富野が関わった作品リストだけで、この時期のアニメ界が分かると言って過言ではない。

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