背骨のバッド・チューニング
背中については一家言ありますよあたしゃ。なぜならだいたい痛いから。首~肩~背中~腰を繋ぐ「コリのナイル川」みたいな大いなる鈍痛の流れに日々身を任せつつ肩叩きマシーンやマッサージ機能付きクッションを買い込み、全部装着してロボットアニメのコクピットみたいになって作業していることもしばしばだ。いつか一発当てて高級事務椅子に座って、いやマッサージチェアに座りながら仕事がしたい……。痛みとともに夢は広がる。しかしこのままえんえんと私の背中のコリについて話していても連載の寿命が縮まるだけだと思うので、別の話をします。すんません。
イメージの規定の中で
背中、当然だけど普通にしてると自分では見えない。のせいか、背中にまつわる決まり文句って「他人の背中を見ている」or「他人に背中を見られている」のどちらかのシチュエーションが多い。中でもよく聞くのが「背中で語る」。このワードで頭に誰かの背中が思い浮かんだ方、それ女性でしたか男性でしたか。たぶんですけど、「男の背中」がビジュアルとして浮かんできた人が多いんではないか。背なで泣いてる唐獅子牡丹、俺の背中についてこい、オヤジの背中を見て育つ、などなど。「背中」ワードって妙にマッチョというかますらをぶりなイメージのものが多い。力強さ、頼りがい、雄々しさ、そんなイメージを付けられやすい部位。
しかし世の中当たり前になよ竹のような男子もいればジブラルタルの岩のような女子もいるわけで、男の背中だからと逞しいイメージを背負わされたり、女の背中だからと頼りなげに見られても困るわけです。
OH!強いギャル
いうても慣用句や決まり文句なんていうのは「事実」ではなく「こうだったらいいな」という願望やファンタジーか込められてるものがほとんどだ。それに近代は「強い女」のイメージや「背中で語る」シブい女像も沢山見られるようになってきた。アクション大作映画には最低でも一人は「戦う女」が出てくるし、古くは『グロリア』『エイリアン2』など強敵にひるまず立ち向かうタフな女の姿はコンテンツとしても一般的になって久しい。日本だとそこが戦闘美少女とか魔法少女とか見た目はか弱い子供~若年者表象ばっかになっちゃうのがつまらんしなんで?と思うが、まあ「強い女」というイメージは、少なくともメディア上ではそこまで突飛なものではなくなった。私もいろいろ喜んで観ていた。
勝手にしわよせ
喜んでいた。それは間違いない。出始めは。しかしそろそろ「強い女」の表象もあらかたパターンが出尽くしてきたこの2018年。だんだんメディアに出てくる「強い女」が、「強さの代わりに女性性を捨て去った女」or「強いけどエロエロビッチな悪女」or「強くて美しくて正しくてヨゴレもブレもしない超合金女」という3パターンくらいに大分されすぎじゃね?と思い始めてきましてね。
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