◆10◆
「そういえば、こないだのONDOの件なんだけど……」
60階空中テラス行きエレベーターの中で、室長が切り出した。
「はい」
おれは映画館で見たサカグチの顔を思い出し、ごくりと唾を飲んだ。
奥野さんの表情も、若干、硬かった。
「危なかったよねえ、あれ。あのまま完成されてたら、いつか炎上してたのは間違いないけど……。三融マの調査の結果、それよりもっとマズいことになってた可能性があるって」
室長はスマホをいじりながら、いつもの緊張感のない口調で続けた。三融マは、第三IT事業部金融マーケティング部門の略だ。四七ソと命名規則が違う。第三事業部は丸ごと別会社からの合併だから、その命名規則が残っているのだ。
「というと、どういう事です?」
「フェイクニュースの一斉拡散による、相場操縦などを狙っていた可能性、大、だってさ。こないだ、北朝鮮のミサイル発射が誤報だったってニュース、聞いた?」
「ああ」
おれは頷いた。あれでだいぶ肝を冷やした。だがおれはもうドル円の不安から解放されたので、ビクともしない。鋼鉄の精神を得たのだ。
「なるほど……」
奥野さんも気づいたようだった。
「ミサイル誤報の件は本当にただの誤報でしたが、仮にONDOが完成していたら、そういうものを意図的にやれていた可能性がある、と」
「そうそう。今はもう、株式も為替もみんなAIじゃない? そういうニュースがバズってるのをAIが見た途端、精査もせずに、ドンと相場を動かしちゃうわけ。奥野さんがダンプスター・ダイブで復元した文書あるでしょ」
「はい、あの時シュレッダーから」とおれは相槌を打つ。
「あの後も実はちょっと残業してもらってね、色々復元してもらったんだわ」
「そうでしたね。その分析結果……という事ですか?」
「そういうこと。下手したら、ONDOが世界恐慌の引き金を引いていたかもね。二人とも、ご苦労ちゃん」
「……他には何か、掴めたんですか?」
「いや? 今のとこ、そんなもんだね。大事故を防げて、めでたし、めでたし。もちろん金一封くらい渡してやりたいけど、ちょっとT社今季の営業成績悪いから、無理みたい。頑張って食い下がってみたんだけどねえ」
「そうですか……」
おれは溜息をついた。別に金一封なんて最初から期待していなかったし、そういうのは、えてして、本当に大事故が起こってからじゃないと支給されないものだ。おれが溜息をつく理由は別にある。
「サカグチの件は、他になにも?」
「香田ちゃん、あの事件、やけに食いついてくるよね。いつももっと淡白なのに」
「そりゃあ……主犯を取り逃がしてますから」
「悔しいってこと?」
「そうですよ」
おれは……なんとなく、映画館の件の話をしそびれた。
「サカグチの奴は、元T社グループの社員だったんですよね?」
「そうね」
「四七ソみたいな事をしていた人事部系の秘密部署が解体され、そのメンバーだった」
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