ある男

ある男(25)

愛したはずの夫は、まったくの別人であった。
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から「ある男」についての奇妙な相談を受ける。 人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。 「ある男」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。 「マチネの終わりに」から2年。平野啓一郎の新たなる代表作!(毎日10時更新)

 クリスマスを三日後に控えて、街はいよいよ浮き足立った雰囲気だった。

 城戸はその日、東京地裁で仕事を一つ済ませた後、渋谷の東急デパートの脇にある小さなギャラリーを訪れていた。

 すぎという名の友人の弁護士が、死刑廃止運動に熱心で、確定死刑囚の公募美術展に携わっており、その案内を貰っていたのだった。

 城戸は、死刑制度には反対だが、廃止運動に直接関与したことはなく、死刑が求刑されるような刑事事件を担当した経験もなかった。どちらかというと、小見浦が刑務所から送ってきた珍妙なハガキを見て以来、受刑者の描く絵の方に興味を持っていた。

 小見浦は、どことなく物悲しい、悪い冗談のようなペテン師だったが、死刑囚となれば、描くものもまったく違うだろう。

 過去には自らの殺人があり、未来には国家による処刑が待っている。そういう人間が、現在に於いて描く絵を、城戸は見てみたいと思っていた。


 会場は、飲食店が軒を重ねる雑居ビルの六階だった。夜は、都心でも積雪の恐れという予報で、傘を差してはいたものの、渋谷駅から歩いてくる間に、コートの前は大分白くなっていた。急いで歩いた分、悴んかじかだ頬は内から少し火照っていた。

 入口の前でまだ残っていた雪を落としていると、杉野が、こんな日に申し訳ないと礼を言いに来たので、「いや、寒いね。」と苦笑した。今日は、彼がモデレーターを務めるトーク・イヴェントも予定されている。

 会場の白い板張りの床は、靴底の雪で濡れていて、城戸の目の前でも女性が一人、滑って転びそうになった。既にイヴェントの椅子も設置されていて、百平米ほどのスペースは、思いの外、混雑していた。城戸は、帰りの電車が心配なので、イヴェントは、途中で抜けるつもりで、後方の席にコートだけを掛けておいた。


 出品者は十数名で、見上げるような大作からハガキ大のものまで様々だった。画材が限定されているだけに、紙を貼り合わせたり、色を塗ったりするのに苦心のあとが看て取れた。作品の傍らにはタイトルと作者、それに事件の通称が添えられている。それ以上の詳しい説明はなく、携帯で検索しながら見て回っている者もいた。

 入口付近に展示されていたのは、五十センチ強の絵を縦に二枚並べた大作だった。

 下の絵に描かれているのは、煉瓦作りの巨大な空井戸の底で、壁を這い上がろうとしながらひざまづいている全裸の女性。それと一続きになっている上の絵には、遥か頭上に覗く青空と緑の草花、それに静かに差し込む太陽の光が描かれている。恐らく、拘置所の窓から見える光を重ねているのだろう。B4くらいの紙を貼り合わせてこの大きさにしているようで、彼方の自由を渇望する遠近法は絶望的であり、眩しい光と、井戸の底に行くほど濃くなってゆく闇との対照が、悲痛な効果を上げている。

 ペットショップのオーナー夫妻が、顧客四人を相次いで殺害し、死体を完全に消滅させていた事件で、描いたのは、逮捕以来、一貫して殺人については冤罪を主張している妻の方だった。有名な事件だけに、展覧会のチラシでも、この絵が大きく取り上げられていた。

 隣の絵は、初秋らしい地面を描いたもので、まだ若い松ぼっくりや緑の落葉が散乱し、蟻の行列も見えているが、異様なのは、そこに無数の手榴弾が混ざっていることだった。その場所を、靴も履かずに歩こうとする女性の白い足が覗いている。空井戸の絵でも、女性の裸足が強調されていた。

 その他、より直接的に、言葉によって無実を訴えている作品もある。

 城戸は、まずその絵の達者なことに驚いた。絵画というよりは、ポスター風である。

 隣に展示されているのは、やはり冤罪を訴えて、最高裁に再審請求中の毒物による大量殺人犯の女性の作品だった。

 色紙大の絵が、十点ほど展示されている。城戸は、前を行くカップルに続いて、全体が黒く塗り潰され、真ん中に下向きに湾曲した、太い赤い線が描かれている絵の前に立った。縦には、血の涙のようなしずくが滴っている。城戸が、事前にウェブサイトで読んだ解説では、真ん中の横線は、絞首刑の際にロープが首に食い込んで出来る傷を表現しているらしく、しずくは家族の涙なのだという。

 傍らには、一面が青で塗られ、中心に豆粒のように小さい四角い囲いと赤い丸が描かれた絵がある。これも解説を読んでいて、青空を見ることが出来ない、拘置所の閉塞感と孤独の表現らしかった。

 死の恐怖も冤罪の訴えも、ほぼ正方形の画面に図案化されていて、筆記具の乏しさもあり、決して巧みとは言えないものの、いずれも、見る者の存在を、内に強くし込んで来るような力があった。

 城戸は、一点一点の作品の前に立ち止まる度に息を呑み、しばらくして長い溜息を吐くということを繰り返した。

 この作者の作品も、どちらかというと、グラフィック・デザインだった。

 城戸は、広告表現の芸術性といった通念を脳裡に過ぎらせた後に、寧ろ、芸術表現の広告性をこそ議論すべきなのではないか、と考え直した。

 グラフィック・デザインの目的は、イヴェントにせよ商品にせよ、何かが存在していることの告知である。知らされなければ、それは、そもそも存在していないかのように黙殺されてしまう。ポスターは、「ここにこれがある!」ということを、美の力を借りて訴えるのであり、結果、その表現は芸術の域にまで高められることもある。

 しかし、芸術とはその実、資本主義とも大衆消費社会とも無関係に、そもそも広告的なのではあるまいか?──例えば、燃えさかるようなひまわりの花瓶がある。草原を馬が走っている。寂しい生活がある。戦争の悲惨さがある。自ら憎悪を抱えている。誰かを愛している。誰からも愛されない。……すべての芸術表現は、つまるところ、それらの広告なのではないか?

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文藝春秋
2018-09-28

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