青い芝」の戦い

息苦しい「空気」は、無自覚のマジョリティが作っている

40年以上前、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われる運動をおこなった、脳性マヒ者による障害者運動団体「青い芝の会」。その活動が近年再評価されている理由には「空気の読み疲れ」があるのではないかと、荒井裕樹さんと九龍ジョーさんは語ります。マジョリティが語る「一般論」や、SNSに降り積もる心無い言葉。それらが醸成した「空気」が及ぼす、無視できない影響について論じます。

立場の弱い人は、空気を読まなきゃ生きていけない

— ここまで「青い芝の会」の主張や、横田弘さんや花田春兆さんを中心とした方々のエピソードをお話いただきました。いま「青い芝の会」の活動が再評価や参照されているように感じるのですが、なぜだと思いますか?


左:荒井裕樹さん 右:九龍ジョーさん

荒井裕樹(以下、荒井) 背景に「空気の読み疲れ」があると考えています。最近、「マイノリティに気を使わなきゃいけない」「ポリコレ(※1)疲れ」なんてことが言われていますが、ぼくが言いたいのはその逆です。

※1 ポリティカル・コレクトネス(politically correctness):政治的・社会的に適切で、偏りなく公平であることを目指す表現。少数者や被差別者に不利益が生じないように、表現を是正していこうとする動き。

いまは立場の弱い人たちの方が、以前より空気を読みながら、波風を立てないように気を遣っている。小泉政権の時に「鈍感力」という言葉が流行りましたけど、とても嫌な言葉だと思いました。立場の強い人は鈍感でも鈍感じゃなくても生きていけますが、立場の弱い人は空気を読まなきゃ生きていけない。そういった人たちに「鈍感力を身につけろ」というのは、「マジョリティはあなたたちに気を遣いたくない。つらいこともあるだろうけど心を麻痺させてがんばれ」と言うようなものです。

その点、青い芝の会の人たちは空気を読まなかったですね。つまり、「健全者がつくった空気は、障害者を排除するためのものだから読む必要はない」と考えた。割り切った痛快さに対する「あこがれ」みたいなものがあるとおもうんですね。

九龍ジョー(以下、九龍) この「健全者」という言葉も、「障害者」に対抗して、マイノリティの側からレッテルを貼り返すための言葉なんですよね。あえて「健常者」とは言わない。健全者を中心とする文化やシステムにはさまざまな不備があるので、そこへの参入を考えるのではなく、むしろその不備を批判していく。つまり、青い芝の会の人たちは「空気」を読むのではなく、その「空気」で社会全体が息苦しくなっているのではないかという指摘をしていく。

マジョリティの定義は「大きい主語で自分を語れる」こと

九龍 昨年6月にバニラ・エア問題(※2)があって、青い芝の会の「川崎バス闘争」が再度注目を浴びましたよね。その時に、「そんな要求に対応していたら、LCCのような格安航空はやっていけない」という人がけっこういて、なんでそんなことを言うんだろうって疑問だったんですよ。バニラ・エア関係者ならともかく、そこまで肩を持つ意味がよくわからない。

※2 LCCの「バニラ・エア」が、車いすの男性の搭乗を断り、男性が腕の力でタラップを登った。のちに、バニラ・エアが謝罪した。

荒井 あなたはどの立場でものを言っているんだ? ってことですよね。横田さん(※3)も「一般的には~」という言い方が嫌いでした。

※3 横田弘(1933-2013):脳性マヒ者。詩人。運動家。日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会に所属し、同会の会長などを歴任した。1970年代以降、障害者差別を告発する激しい抗議運動を担った。横田が起草した「青い芝の会行動綱領」は、現在に至るまで、多くの障害者運動家に多大な影響を及ぼした。

九龍 横田さんに出所のよくわからない意見を言ったら、一発で見抜かれますからね。「で、お前自身はどうおもうんだ?」と聞いてくる。そもそも、「みんなこう言ってる」みたいな一般論に対して、それが実際に存在するかどうか別にしても、その一般論に自分の意見を合わせないといけないと思い込んだり、そこから外れている人をバッシングしたりする風潮はなんなんでしょうね。

荒井 一般論を言えるのは、マジョリティだからです。ぼくが考える「マジョリティの定義」は「大きい主語で自分を語れる」というものです。日本人は~とか、男ってさ~、社会ってさ~と。当事者性がないこと自体が、その人がマジョリティであることのあらわれです。

花田さん(※4)も、そこへの無自覚さには厳しかったですね。お前は一人の人間として、今、俺と向き合っているのか。マジョリティとして当たり障りのないことを言っているんじゃないか。言葉の端々で見抜かれてしまう。

※4 花田春兆:脳性マヒ者。1925年、大阪生まれ。日本初の公立肢体不自由児学校「東京市立光明学校」(現・東京都立光明特別支援学校)卒業。身体障害者による文芸同人誌「しののめ」を主宰。俳人・文筆家・障害者運動家として多方面で活躍。日本障害者協議会副代表、内閣府障害者施策推進本部参与など公職を歴任した。長らく障害者運動の業界では「長老」のような存在感を放ち、彼に影響を受けた運動家も数多い。2017年、逝去。

九龍 ぼんやりとした一般論が、SNSなどで奇妙なルールにすり替わっていく光景をよく見かけます。少し前にテレビ番組で取材された「貧困女子高生」が炎上したことがありました。「高いペンを買っているから、貧困じゃない」とか言われていたんですけど、じゃあ、鉛筆をナイフで削って使ってたら貧困なんだろうか、と。でもそれを言うなら、ある程度、しっかりしたペンを使ったほうが長持ちして、経済的にも安くつく、というケースだってあるわけじゃないですか。それ以前に、そんなことを言う人は、「貧困」という状態について持っているイメージがすでに貧しすぎやしませんか? とおもうんです。

荒井 自分たちの勝手な思い込みでつくったステレオタイプからはみ出すものを許さないんですよね。でも、いつか自分がそのわけのわからないルールに取り締まられる可能性もでてくる。それはこわくないのかな。

バニラ・エアの件でも、車いす利用者に対して「ルールを守れ」と言ってる人がいましたけど、そもそも車いすで乗れないのは「障害者差別解消法」(※5)違反だと思います。解消法よりも守らなければならない「ルール」って何なんだろうと考えると、結局はマジョリティ側が作った雰囲気みたいなものでしかない。

※5 行政機関や民間事業者等が、障害者に対して、正当な理由なく障害を理由に差別することを禁止する(「不当な差別的取り扱い」の禁止)とともに、 障害者から何らかの対応を求められた際に、過重な負担にならない範囲で機会の平等を保障するために努めること(「合理的配慮」の提供義務)を求めた法律。(「合理的配慮」の提供は、行政機関は義務。民間事業者は努力義務)。 2013年6月制定、2016年4月施 行。正式名称は「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」。

世界の障害者運動には“nothing about us without us”(私たち抜きに、私たちのことを決めるな)という有名なスローガンがあるんですけど、青い芝の強烈な問題提起もこれに通じるものがあります。

本人も悲鳴をあげられない

荒井 10年近く前ですが、非正規雇用の問題が騒がれていた頃、非正規の人に話を聞いたら「経営の王道は人件費を抑制すること。景気の調整弁として非正規で人を回していくのはセオリーだ」と言っていて、驚きました。これは「非正規が経営を語るな」ということではなく、不安定な雇用のせいで苦しいのであれば「苦しい」「つらい」と言えばいいのに、素直に言えないなにかがあるんですよね。

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青い芝」の戦い

荒井裕樹 /九龍ジョー

「青い芝の会」。それは、脳性マヒ者による障害者運動団体です。青い芝の会は1970〜80年代に、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われるような運動をおこない、「強烈な自己主張」を行ってきました。学生時代に彼ら/彼女らに出会い、と...もっと読む

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mamiko_x https://t.co/YnE0WEi4fB 2年弱前 replyretweetfavorite

afcp_01 第5回。 " 2年弱前 replyretweetfavorite

go_lgbt “「つらいこと」を「つらい」と言うのは、社会を問い直す第一歩です。” 2年弱前 replyretweetfavorite

YamamotoPotato 荒井裕樹×九龍ジョーの「青い芝」連載、明日が最終回です。最終回の前に、最新の第5回をぜひチェックしてみてください。→ 2年弱前 replyretweetfavorite