ユカ 33歳
(アカウント:人妻の美香
「結婚4年目セックスレス人妻。DM解放しています」)
まずはフォローする人を増やそうと適当なキーワードで検索して表示されたアカウントをランダムにフォローしていった。フォロワー数の少ないアカウントはフォローし返してくれる人が多い。その日はそれだけで満足してしまったのだけれど、二日後に思い出してツイッターを開いてみると、もう100人もフォローされていた。表の本名アカウントに早くも迫る勢いだ。
セックスレスというワードが効いているのだろう。フォローしてくれたアカウントを見てみると、ワンチャンを狙っていそうな男の人ばっかりだった。ふと気が付いて、DMを誰からも受信できる設定にしてプロフィールにDM解放しています、と書き足す。こうやっておけば誰かが連絡をくれるだろう。
予想は当たり、数時間後から「セックスレスなんですか?」とか「後腐れない関係、どうですか?」などのメッセージがぽつぽつと来始めた。私がネカマな可能性だってあるのに、なんて単純でおめでたい人たちだろう。男ってほんとバカ。そんな風に思いながらも向こう側に体温のある生身の人間との交流が嬉しく、私は全てのメッセージに馬鹿丁寧に返事をしてしまった。
「セックスレスではあるんですけど、旦那以外の人と関係を持つのには抵抗があります。後腐れない関係は今のところ間に合っています。でもDMありがとうございました」。そう言うと、悪い反応をされることもなく、みんなあっさりと去って行った。それはそれでちょっと寂しい気もしたけれど。
このアカウントで誰かに実際に出会うつもりは毛頭ない。ただの暇つぶしだ。22時の寂しさを切り抜けるための。
実際、匿名アカウントの世界には、実名の表の世界では見えない世界が広がっている。
「あー病んでる……」
「お金ない」
「イケメンとか言われ飽きたわ」
「セフレ欲しい」
「はやく精神安定剤届かないかなぁ」
みんな思い思いに欲望や本音をむき出しにしていて心地がいい。表では言えないことを吐き出しているのだ。急に人の心の中が見える能力を得たらきっとこんな光景を見るんだろう。大学生の時、サークルの友達何人かとハプニングバーを覗きに行った時の気持ちと似ている。地下の世界をこっそり探検しているような気持ち。その場にいても、私はあくまで部外者なのだと思い込むことで安心感が得られる。
こんにちは、匿名の皆さん……とツイッターの画面をスクロールし、心の中で呼びかけてから、そうだ私も匿名だったと気づく。でも、私のアイデンティティは「匿名」ではない。あくまで私は覗いているだけ。
みんな表世界では全然別の人格で生きているのだろう。現実世界で普通の人でいるために、こうやって息抜きをしているのかもしれない。そう考えると、自分が世の中から置いてきぼりにされていたみたいで悲しい。
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