怒る人は怖い。怒らない人は優しい。
そんなイメージがあるけど、本当にそうだろうか?
他人のために怒れる人は、怒らない人よりもよっぽど優しいと思う。
私は、よその山小屋の支配人に怒られたことがある。山をはじめたばかりのとき、地図を持たずに歩いて道に迷い、山小屋に到着するのが遅くなったのだ。
怒られてショボンとしたけれど、その次からは必ず地図を持ち、事前に雑誌やネットでルートを予習してから歩くようになった。あれ以来、山では一度も道に迷っていない。
あのとき真剣に怒ってくれた人のおかげだ。
山小屋の人が怒る理由
私がいた山小屋は、あまりお客様を厳しく叱らない方針だった(もちろん、場合によってはちゃんと注意する)。
だからたまに、お客様からこんなことを言われる。
「この前、暗くなってから○○小屋(よその山小屋)に着いたら従業員に怒られた。客に対して偉そうにしやがって」
「その点、この山小屋は口うるさくなくていいね」
うーん……。
なんで暗くなってから着いたら怒られるのか、理由を考えたことはないのかなぁ。
日没後はヘッドランプを点けていても、転倒や道迷いが起きやすくなる。北アルプスは富士山と違って日没後に歩いている人が少ないし、場所によっては滑落の危険性がある。何より、日没後はヘリが飛ばないしレスキューも出ない(基本的には)。
日没前だって、夕方は夕立や雷が起こりやすいし、夕方になればクマが出没しやすくなる。
どうしたって、夕方になる前に目的地についていたほうが安全だ。
だけど、叱られて文句を言う人はだいたい「でも、大丈夫だったじゃないか」と言う。
それは、そのときたまたま無事だっただけだ。同じことを何十回と続けていると、そのうち事故に遭うかもしれない。
残念ながら、どんなに気をつけていても事故に遭う可能性はゼロではない。
だからこそ、少しでも可能性を「ゼロに近づける」ために、できる限りのことをするしかないのだ。
山小屋の人に厳しく叱られることによって、お客様が「次からは夕方までに山小屋に着くようにしよう!」と行動を改めれば、今後その人が事故に遭う確率は下がる。
だけど、私のいた山小屋では、日没後に到着するお客様を激しく叱ることはない。やんわりと注意するくらいだ。
……それって、お客様の心に響いてるだろうか?
やんわりとした注意だけで、「次回からは気をつけよう!」と思ってもらえるのだろうか?
かと言って、厳しく言えば響くのかというと、それもまた自信がない。
難しいなぁ。
はじめて「意識を失っている人」を目の当たりにした
残念なことに、山小屋の人間にとって山岳事故は身近な話題だ。私のいた山でも、頻繁ではないものの事故はあった。
山小屋に救助要請が入ると、支配人とベテランの男子スタッフ、看護師資格のあるスタッフなどがレスキューに出動する。
私を含むその他のスタッフは、山小屋に残って通常の業務を続ける。けれど、レスキュー組が帰ってくるまでは気が気じゃない。
はじめて「意識を失っている人」を目の当たりにしたときは、動揺して動けなくなった。
雨の日の夕方、お客様が「近くで倒れている人がいた」と教えてくれて、支配人が救助に向かった。私が受付で接客していると、支配人が低体温症で意識を失っている男性を担いで戻ってきた。男性はびしょぬれで、顔が真っ青だった。
呆然としていると、いつもは穏やかな支配人が厳しい口調で「毛布とタオル! 早く!!」と叫んだ。その声でハッと我に返り、慌てて毛布とタオルを取りに行く。
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