天才のハードル

「落ち込んだとき、繰り返し読んでいます」「読んでいて心が暖かくなる1冊です」など、2012年に出版して以来、今も読者から感想が届く酒井若菜さんのエッセイ集『心がおぼつかない夜に』。あれから6年――。『うたかたのエッセイ集』(キノブックス刊)が10月に発売されました。cakesでは、本書に収録された33本から選りすぐりの6本を連載いたします。

「天才」という言葉のハードルが、ここ数年でグンと下がったように感じるのは気のせいだろうか。

天才というのは、アインシュタインレベルの人間を指すものだと思っていたが、世間はどうも違うようである。その影響は、どうやら昨今のテレビ番組とネットからくるものらしい。

ベテランから若手まで、ありとあらゆるテレビタレントが、駆け出しの若いタレントに対し「あいつは天才だ」と評する場面をテレビでしょっちゅう見るようになったのは、ここ数年のことのように思う。

尖っているタレントよりも、他者の持つ才能を容認できる「器」のあるタレントが増えたのだろう。我が我が、というよりも、みんなで一つ、といったように。天才を見極めることができる自分の才能を知ってのことかもしれないが、そこらへんは分からない。ただこの傾向、個人的には嫌いではない。

もう一つの要因、ネット。最近のネット界では「ネ申」が普通に使われる。神がこれだけたくさんいるのなら、そりゃあ天才くらいはゴロゴロしてるのも頷けるという話だ。

「マジ、ネ申! ワロタ!」 神も笑われる時代である。神や天才という言葉が氾濫するネット界も、個人的にはやはり嫌いではない。

テレビ然り、ネット然り、価値観は確実に推移している。それも飛躍的に。

一方で、芸能界には昔ながらのしきたりを重んじる風潮がしっかり残っていたりする。矛盾しているようだが、私はそれも個人的には嫌いではない。

一般人の対義語は芸能人ではないが、芸能人の対義語は一般人だろう。今の芸能界では、一般人のほうが先をいっている。一般人に追いつけた作品、一般人を振り向かせた作品、がテレビや映画の主になっている。

そして、「プロにはできない」表現がやたらと重宝されている。はてさて良いのか悪いのか。

炎上、なんていうものに焦るのは、芸能界の一部だけである。炎上にあった本人は「マジ終わってる」「死ね」と言われればもちろん傷つくだろうし、間違いを反省したりもするのだろう。

しかしそれを「芸能人らしくいなさい」と咎めるのは、どう考えてももう古い。

芸能界に蔓延している神や天才と、ネットの中でのいじめや殺しは、常に同時に起こっている。相反するそれらの極論は、必ず同時に存在している。どちらにも、大した価値は本来ない。

芸能人には、手が届く。そういう時代を受け入れられないのは、芸能界の古いしきたりだけ。芸能界=華の世界、は終わっているのだ。崇める言葉にも罵詈雑言にも、大した意味も価値もない。

それはもしかしたら、王道なスターがいないからかもしれない。個性の時代とはよく言ったもんだ。スターはもちろんカリスマもいない。いても、カリスマはカリスマ、私は私、が主流の時代だ。ネットでは常に自分の感情が吐き出せ、主役になれるのだから。

試験も免許も稽古もなく、主役になれる。そして、王道もなければサブカルもない。昔のカウンターが今のストレートだったりもする。

『笑っていいとも!』や『サザエさん』、宮崎アニメに再びスポットも当たり、見直される。全部がストレートで、全部がカウンター。八方手を尽くしている印象は否めない。

芸能人には、神だ天才だと言われても、死ねだ終わってるだと言われても、全部受け止めて、あるいは突っぱねて、黙って発信し続ける強さが必要だ。とて感受性の世界である。

無難に、無難に。そんな考えならやめちまえ。と思う。常に敏感に、感受性を損なわずにそれらを受け止めながらやっていくこれからの芸能人たちの中には、もしかしたら本当に天才がいるのかもしれない。

昔、深夜番組の映画コーナーで、数々の作品をメッタ斬りにしていた井筒監督が数年ぶりにメガホンをとる、というニュースが出た時、「あれだけ人の映画を酷評してる井筒さんよ、どんだけの物が撮れるんですかね」という視線が井筒監督に降り注いでいるのを、芸能界にいる私は何となく肌で感じた。

傍から見ていても、その残酷に満ちた好奇の目は怖かった。ところがその後公開された映画で、井筒監督は大絶賛を浴びることになる。

ご存知であろう、『パッチギ!』だ。

──評論家に物は作れない。 この定説が私の中で完全に崩れたのは、あの流れを見た時かもしれない。

生涯いち女優。そんな女優が見たいのに、自分がそんな女優を目指せばいいのに、私は自ら選んで文章を書いたり、写真家デビューしたりを真っ先にやった。

恐らく私が一番嫌いなのは、やりたいことがあるのに「まだ時期じゃない」「自信が持てるようになったらやってみたい」「怖くて踏み出せない」「やれば面白いのができる自信はあるの」という未来を見たふりをする自己評価だけは立派な人たちだ。

言っとくけど、待ってても、向こうから「小説」とか「映画」とかでき上がった状態で歩いてこないからね。

やるんだよ。やりたいならやるんだよ。

「主役やりたい!」「冠番組持ちたい!」というような夢とは違うのなら。 自分で努力して完成させられる夢ならやるんだよ。すぐに叶う夢なんかどうせないんだから、コツコツ今から始めるんだよ。

評論家も作り手も、両方やってしまえばいいんだよ。プロじゃなくても、やってしまえばいいんだよ。

ん? 話、逸れた? やだ、凄い逸れてる。

話を戻す。

「天才」のハードルが下がっている。だから今、天才という言葉に価値はない。だけど天才になりたい人にとっては、こんなチャンスはないんだよ。ってこと。

井筒監督があの時打ったパンチはストレートだったのかカウンターだったのか。ある日ふと、そんなことを思い出し、考えたことがあった。そして今、ようやく我に返るのである。

あ。パッチギ(頭突き)か。

<終>

—次回は10月24日(水)の更新です。

うたかたのエッセイ集

酒井若菜
キノブックス
2018-09-29

この連載について

うたかたのエッセイ集

酒井若菜

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nocci1109 …言っとくけど、待ってても、向こうから「小説」とか「映画」とかでき上がった状態で歩いてこないからね。 勇気が湧いてきた。 https://t.co/CExi3jBcCh 約1年前 replyretweetfavorite

rain_drop_music あ。 表紙の絵…宇野亜喜良さんだ。 約1年前 replyretweetfavorite

sante_votre そして、「プロにはできない」表現がやたらと重宝されている。はてさて良いのか悪いのか。/「演ずること」がどれだけ生活から離れたか、みたいなあたりが気になる。 https://t.co/tSUGwBXSxp 約1年前 replyretweetfavorite

manaview 「評論家も作り手も、両方やってしまえばいいんだよ。プロじゃなくても、やってしまえばいいんだよ。」 約1年前 replyretweetfavorite