城戸は、苦しげに絞った眉間の皺をなかなか解けないまま、東日本大震災以来の妻との関係のことを考えた。
城戸の知人で、津波の被害に遭った人はいなかった。しかし、その想像を絶したニュース映像には、彼も大きな衝撃を受け、何かしなければと、居ても立ってもいられなくなった。
彼は、事務所のパートナーの中北らと連絡を取り合い、被災者の法的支援を行うボランティア活動に参加することにした。
城戸が取り組んだのは、所謂「自主避難者」たちの問題で、取り分け、災害救助法の適用により、公営住宅や民間賃貸住宅が「みなし仮設住宅」として無償提供された後、その住み替えを希望する者らの相談に乗っていた。と言うのも、震災直後の混乱の中で選んだ借上住宅の中には、老朽化や近隣住民の騒音、被災者への嫌がらせといった問題を抱える物件が少なからずあり、しかもその場合でも、「大家の都合」や「著しい危険」といった条件を満たさず転居してしまうと、以後は家賃を自ら負担しなければならないといった制度上の欠陥があったからだった。
孤立した自主避難者の中でも、城戸は、仕事の必要や原発事故の影響についての意見の相違から、夫を地元に残して、子供と一緒に避難生活を始めた母親たちを担当することが多かった。夫がいずれは避難して来るか、妻が子を連れて帰還するかで、皆、再び家族で一緒に生活することを夢見ていたが、そのまま離婚に至る事例にも複数接した。悲惨だった。
香織は、城戸のこうした活動を理解しなかった。
城戸は、妻の優しさが、家族とそれ以外、或いは友人と他人との間にきっぱりと画している一線のことを改めて思った。
子供に対して、彼女は思いやりのある良い母親だった。こども園の颯太の友達の名前も、城戸よりよほど覚えていて、何人か一緒にお茶を飲んだりする親しい〝ママ友〟もいた。しかし、どこかの見知らぬ空の下で飢えている子供たちがいるということには、当たり前のように無関心だった。
城戸は、国境なき医師団やユニセフに継続的に寄付を行っているが、そうした〝社会的な優しさ〟とでも呼ぶべき態度を、香織も以前は「弁護士らしい」と笑って眺めていた。が、近頃では、その考え方の違いに、互いに不愉快なものを感じるようになって、話題にしなくなっていた。
妻の考えが、城戸にはよくわかっていた。
世界中で、この瞬間にも、刻々と人は死んでいる。それに一々、心を痛めるのかと言えば、彼とてそこまで無闇な感受性を備えているわけではなかった。
自分の死は恐ろしい。知っている人間の死は悲しい。憎い人間の死は吉報かもしれない。しかし、見知らぬ赤の他人の死はというと、城戸とて本当は、何も感じてはいないのだった。それでも、自分だったなら、知っている人間だったならと想像して、恐ろしがったり、悲しがったりしている。
新聞記事で目にした、見知らぬ親子の交通事故死を、自分や自分の家族のことのように悼む、という人もいるのかもしれないが、逆に、自分の家族が死んでも赤の他人の死と同じ程度にしか悲しまないとするなら、やはり異様だろう。事実、彼が弁護士という仕事を続けられているのは、まったくその落差の故だった。
彼と妻とは、その程度の鈍感さと疚しさは、無理なく共有していたはずだった。彼女とて、人並み外れて冷淡などというわけではなく、東日本大震災の時にも、城戸が誘うと、既に赤十字に三万円の寄付をしたあとだった。
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