倭王が漢の皇帝からもらった金印は偽物だった!?

これまで、教科書に記載された歴史がどれほど変わってきたかを紹介してきたが、最終回となる今回は、「有名な事柄なのに、教科書には載っていない」歴史を紹介したい。
「漢委奴国王」と刻まれた金印について、漢の皇帝から贈られたと習った人は多いと思うが、実はこの金印「偽造説」があるのだ。高校で27年にわたり歴史教師をつとめ、テレビでもおなじみの歴史研究家、河合敦先生に「逆転した日本史」を聞いてみた。

大切なお宝の真贋論争を主催した、太っ腹な福岡市博物館

 最近の日本人は、ギスギスしていると思う。
 自己中心的で了見が狭く、すぐクレームを言い、気にくわないと公衆の面前でも怒鳴る。
 何が人々をいらだたせているのだろう。

 そんな心が狭い社会で暮らしていて、「太っ腹だな~」と心から嬉しく思ったイベントがあった。
 福岡市博物館が二〇一八年一月に開催したシンポジウム「『漢委奴国王』金印を語る~真贋論争公開討論~」である。

 まずは金印について簡単に解説しよう。
『後漢書』東夷伝には
「建武中元二年、倭奴国、奉貢朝賀す。使人みずから大夫と称す。倭国の極南界也。光武賜るに印綬(いんじゅ)を以てす」
とある。
 西暦五七年に奴国の王が中国の魏に使いを送ったさい、光武帝から金印を授けられたと記されているのだ。
 その実物が、一七八四年に筑前国 志賀島(しかのしま・福岡県)で発見された。
 経緯は次のようなものだ。
 同年二月二十三日、志賀島の農民の甚兵衛が、田の水の流れが悪いので側溝を削っていると大きな石に突き当たり、金梃子で取り除こうとした。
 このとき隙間に光るものがあり、 拾い上げてみると「漢委奴国王」と刻まれた金の印鑑だった。
 これを見た豪商の米屋才蔵は貴重なものだと断言、やがて金印の噂が広まると、甚兵衛は庄屋に呼び出され、御役所への提出を命じられた。
 郡奉行の津田源次郎が金印を受け取り、その鑑定は藩校甘棠館(かんとうかん)の館主(校長)であった亀井南冥(なんめい)が担当した。
 南冥は、光武帝が奴国王に与えた金印だと鑑定、藩主黒田家の宝庫に保管することを決定したのである。

 この南冥の説は、日本考古学会を興した明治時代の三宅米吉博士に継承された。
 三宅博士は、金印に刻まれた五文字は「漢の委の奴の国王」と読むべきで、「委」は「倭(日本)」を意味し、「奴」は「ナ」と読み、「「委奴(ヤマト)」国ではなく日本の中の「奴国」という意味だとした。
 そして『日本書紀』に登場する「儺(なだ)の大津(博多湾)」にあった小国を奴国だと解釈した。
 これが定説となり、現在もすべての日本史教科書に、その説とともに金印の写真が掲載されている。

  ところが二〇〇六年、千葉大学名誉教授の三浦佑之氏が、その著書『金印偽造事件』(幻冬舎新書)で、この金印は偽造されたものだととなえたのである。
 三浦氏は、豪商の米屋才蔵、郡奉行の津田源次郎、亀井南冥は親しい間柄で、グルになって偽印を鋳造し、本物に見せかけたとする。
 目的は、亀井南冥の名声を高めるためであったと推論する。
 南冥は町医者の三男に生まれたが、大変聡明で、長崎や京都、大坂で荻生徂徠の古文辞学をまなび、帰国後は病院を開業し儒学塾を開き、多くの門弟を集めた。
 福岡藩はその才を知って藩主の侍講とし、さらに彼が四十二歳のとき、藩校甘棠館の館主に取り立てた。
 金印が発見されたのは、この直後のことだった。

 三浦氏は「亀井南冥にとって、藩校の祭酒(館主)に就任するというのは最初のステップであり、その先には、より高く大きな野望があったはずだ。そのためにも、金印『漢委奴國王』は必要だった。福岡という西の端から成り上がり、全国的な名声を得たいという欲望が、『学者』南冥にはあったはずである」(『金印偽造事件』)と述べる。
 そんな野心のため、南冥は米屋才蔵の財力を使って金印を偽造させ、郡奉行の津田源次郎の協力を得てこれに公的な力を与え、そのうえで鑑定書と解説書である『金印弁』を執筆、この情報を各地へすばやく配信し、中央の学者を取り込んで己の名声を高めようとしたのだというのだ。
 さらに驚くべきは、発見者の甚兵衛が実在の人物かどうか、疑わしいというのである。
 金印発見の経緯を述べた甚兵衛の口上書が存在するので、この男が発見者だとされてきたが、志賀島の古記録からは甚兵衛の名が確認できないのだ。

 いずれにせよ、金印が偽物だったら歴史が変わる一大事である。
 そんな金印を所蔵しているのが、「『漢委奴国王』金印を語る~真贋論争公開討論~」を主催した福岡市博物館なのである。
 自館の最も大切なお宝について、その真贋を議論されることさえ嫌うのが普通なのに、そのイベントを主催するというのはたいした度量であり、博物館の有馬学館長のシンポジウム開催の決断に拍手を送りたい。
 当日は案の定、偽物説をとなえるNPO法人工芸文化研究所の鈴木勉理事長と本物説を主張する明治大学文学部の石川日出志教授の間で熱い議論がかわされ、会場もヒートアップしたようだ。
 さらにシンポジウムでは、ユニークな説が発表された。

 福岡市埋蔵文化財課の大塚紀宜氏は、金印が改変されている可能性を指摘したのだ。

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逆転した日本史

河合敦

いつの間にか学校で習った歴史の「常識」が変わっていた!? いまの歴史教科書では「鎌倉幕府の成立はイイクニ(1192年)」ではなくなり、「生類憐みの令」を出した将軍綱吉は「名君」として教えられている。「鎖国」や「士農工商の身分制度」など...もっと読む

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コメント

1ne15u 福岡市博物館は立派だと思う。ぜひ読んでくださいね!https://t.co/HHO74HbD6L 約2年前 replyretweetfavorite

shigekey "金印発見の経緯を述べた甚兵衛の口上書が存在するので、この男が発見者だとされてきたが、志賀島の古記録からは甚兵衛の名が確認できない"|河合敦| 約2年前 replyretweetfavorite