「青い芝」の女たちの戦い
—— ここまで横田弘(※1)さんや花田春兆(※2)さんのお話をうかがってきましたが、「青い芝の会」にいた女性たちは、どのように運動に関わっていたのでしょうか。
※1 横田弘(1933-2013):脳性マヒ者。詩人。運動家。日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会に所属し、同会の会長などを歴任した。1970年代以降、障害者差別を告発する激しい抗議運動を担った。横田が起草した「青い芝の会行動綱領」は、現在に至るまで、多くの障害者運動家に多大な影響を及ぼした。
※2 花田春兆:脳性マヒ者。1925年、大阪生まれ。日本初の公立肢体不自由児学校「東京市立光明学校」(現・東京都立光明特別支援学校)卒業。身体障害者による文芸同人誌「しののめ」を主宰。俳人・文筆家・障害者運動家として多方面で活躍。日本障害者協議会副代表、内閣府障害者施策推進本部参与など公職を歴任した。長らく障害者運動の業界では「長老」のような存在感を放ち、彼に影響を受けた運動家も数多い。2017年、逝去。
九龍ジョー(以下、九龍) ぼくの関わっていたグループホームは入居者が男性だけだったんです。たまに恋人が訪ねてくることがあって、それが障害を持った女性のときはありました。あとは青い芝の会の催しでボウリング大会があったりして、そこには女性の方もいらっしゃったのですが、正直、男女観に関しては少し保守的なものを感じていました。
荒井裕樹(以下、荒井) そうですね。男女の性規範に関しては保守的な部分もあって、そこは問い直さなければいけませんよね。青い芝の人たちが「そういう性規範を持つ世代だった」と言えばそれまでですが、障害者であっても「世代」の価値観からは決して自由じゃないし、場合によっては、より露骨に出てしまうこともある。
九龍 重要なのは、そうした男女観に対して、青い芝の内部からも批判の声があったという点ですよね。『女としてCPとして』という本に詳しいんですが、その中で内田みどりさんなどが鋭い問題提起をしている。当時は、ガイドヘルパーのハンコを押してくれるひと、ぐらいな感じで内田さんと接していたので、あの本を読んで胸を衝かれるものがありました。
荒井 実は大変な名文家で、運動の最前線にもいた人なんですよね。本の一節を紹介しましょう。
この時期、私を含め運動に参加した大半の女たちが子育てに追われていた。障害者運動と子育て、自分を自覚し割り切っての女たちの戦いも、時にその余りの厳しさに崩れそうになる。
そんな運動のひとつに暮れの街頭カンパ活動がある。
かろやかに流れるジングルベルのメロディーに子供たちの笑い声がはずむ。ケーキやオモチャを抱え家路を急ぐ親子連れ、女たちは、家に置き去りにしてきた子供におもいを馳せた。マイクからほとばしる男たちの叫び、女たちは黙って人並み(ママ)のなかに黙々と「ビラ」をまき続けた。女たちは、子育てのなかから生まれる新たな地域との摩擦のなかで、男たちとはちがう差別や偏見を味わいはじめていた。男たちは、障害者運動に夢とロマンをかけ、女たちは、日々の生活をかけた。
(内田みどり「私と『CP女の会』と箱根のお山」より)
ちなみに内田さんは、『さようならCP』のことも「あの映画は女性差別以外の何ものでもないと思っています」と断言されています(参考:全国自立生活センター協議会編・発行『自立生活運動と障害文化-当事者からの福祉論』2001年)。
九龍 運動家と生活者という二つの側面が相矛盾してしまうという状況はマイノリティ運動にかぎらず、どんな運動にもつきまとうわけですけど、それがもっともあぶり出されるのが男女の性差別的な役割問題だとおもいます。そこを隠蔽せずにぶつけあうのもまた、青い芝の会の力なのかなと。
「当たり前のこと」も問い直す
荒井 横田さんたちが求めたものってすごく「当たり前のこと」じゃないですか。でも、「当たり前のこと」って、実は不均衡な力関係が前提になっていることがあるんです。
たとえば青い芝は、女性運動家たちと意見がぶつかることがたびたびありました。彼らと向き合った女性たちのなかには、青い芝の中に「男っぽさ」や「男らしさへの憧れ」みたいなものを感じ取った人が少なくないんですね。 たしかに、彼らは「男らしさ」という価値観からずっと除外されてきた。「性欲ないよね」「恋人なんかできないよね」「結婚しないよね」という目で見られてきた。だから、その反発で「男として当たり前のこと」を願うようになるわけですが、その「男として当たり前」という感覚は、女性たちが息苦しさを感じていた価値観そのものだったりするわけです。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。