どうせわたしの人生はこんなもんだ」と決して思わないで!

『高校チュータイ外交官のイチからわかる!国際情勢』の著者・島根玲子さんが外交官を目指すきっかけの一つになった、悲しい過去を持つケニアの少女との出会い……。そして島根さんは非行少女から外交官を目指すまでに起こった、ご自身の経験を振り返り、「人生何が起こるかわからない」、逆に言えば、「その気になれば、何でも起こせる」ことを教えてくれます。

ぼろぼろの服に咲く笑顔

 わたしのケニアでのあだ名は「ロイコ」でした。ロイコというのは、ケニアでは非常にポピュラーな調味料で、日本でいうと「味の素」みたいな存在です。わたしの名前が「レイコ」なので、それに似ていることから、子どもたちからは「ロイコ、ロイコ」と呼ばれていました。

 孤児院の朝は「ウジ」という朝食で始まります。ウジとは、とうもろこしや大豆の粉からできた、どろっとしたおかゆです。決しておいしくはないのですが、安いうえに栄養価が高いので、ケニアではポピュラーな朝食です。子どもたちは、プラスチックのカップで、口の周りにウジをべったりつけながら、にっこりと笑ってウジを飲んでいました。ウジがべったりついた口で笑う姿が何ともいえずかわいいのです。

 でも、彼らが着ているのは、穴の空いたぼろぼろの服。「お父さんの顔を見たことがない」と話す子もたくさんいました。

 子どもたちの笑顔の裏にある、貧困の現状。生まれた国が違うというだけで、何不自由なく生活してきた自分。ケニアでの生活は、そんな胸が締め付けられるような、切ない気持ちとの共存でした。

「マリア」の悲しい過去

 NGOでは、ある女の子の孤児と仲良くなりました。彼女の名前はここでは「マリア」としましょう。マリアは当時11歳で、まだ小学生。身長は私よりも少し高いくらい、手足は細くて長く、肌はミルクチョコレート色、大きくて切れ長な目に、すらっと通った鼻立ちで、とても11歳には思えない美人でした。  マリアは英語も上手で、わたしにいろんな話をしてくれました。

「英語は好きだけど数学は嫌いだ」とか、「孤児院の男の子達が兄貴面してきてうっとおしい」とか、「将来は外国で働きたい。ケニアの外に出てみたい」とか、「ロイコの髪の毛はチリチリじゃなくてうらやましいな」とか、いつも人懐っこく話しかけてくれて、私も彼女を妹のようにかわいがっていました。

 ある日、「なんでマリアはここにいるんだろう。家族はみんな亡くなったのかな」と、ちょっと気になって、彼女のプロフィールを見せてもらいました。そこに書かれていたのは、両親はいない、兄が一人、そして、「sexually abused」(性的虐待経験あり)という文字。

 そこではじめて、マリアが過去にお兄さんに性的虐待をされていたことを知りました。マリアはすでに孤児院で生活を始めて数年経っていましたので、性的虐待を受けていたのはもっと小さかった頃の話です。

 わたしは寮母さんに、「マリアはお兄さんに性的虐待されていたの?」と尋ねてみました。すると寮母さんは「そうよ。ロイコはお兄さんに会ったことがないの? この町にいるわよ」と答えました。

「え……? この町にいる?」わたしが住んでいたのは小さな町でした。30分も歩けば町を一周できるし、どこに誰が住んでいる、というのはだいたい知っている、そんな小さな町でした。だから、まさかマリアのお兄さんが同じ町に住んでいたなんて、驚きでした。

 数日後、寮母さんと夕飯の買い物に行った帰りのこと。ケニアの田舎道は赤茶と黒の二色です。舗装されていない道は赤茶の乾いた土。そこに無造作に捨てられた無数の黒いビニール袋が蓄積され、まるでコンブみたいに地面から顔をのぞかせています。

 しばらくすると、ロバの群れの向こうから、少年の叫び声が聞こえました。なんだかわけのわからないことをワーワーと騒いでいました。彼は近所に住む知的障害者の少年。わたしも顔だけは知っていました。ぼろぼろの服を着て、いつも一人でいて、何をするでもなく、どこに行くでもなく、フラフラと歩いている、そんな姿を何度も見ていました。

 そのとき、寮母さんがこう言いました。「ロイコ、彼がマリアのお兄さんよ」と。一瞬、理解に苦しみましたが、彼がマリアのお兄さんだとわかり、わたしは言葉を失いました。

 マリアの過去の話を聞いてからというもの、静かな怒りに震えていたわたしは、「兄に会ったらひと言言ってやろう!」なんて思っていました。でも、その兄が知的障害者の彼だったなんて……。  彼だって保護を必要としていたはず。善悪の区別がつかなかったのかもしれません。妹を傷つけてはいけないということを、両親が教えてあげなくてはいけなかったのかもしれません。いつも一人でいるのを見かけるけど、どう生活しているのだろう、きちんとご飯を食べているのだろうか、一緒に住んであげる人はいないのかな、親戚などは何をしているのだろう、国は何かしてあげないのかな、彼のような人を保護する施設はないのかな、などといろんな思いが巡りました。

 こんなとき、誰を責めたらいいのでしょうか。お兄さん? 亡くなった両親? 自分を守れなかったマリア? 救いの手を差し伸べなかった近所の人? そういう人を守れない政府? 途上国を支援する立場の先進国? そういう援助をしない国際社会? 誰に責任があるのでしょうか。そもそも誰かに責任なんて、あるのでしょうか。

 先進国で何の不自由もなく育ったわたしが「許せない!」といって、正義感をふりかざしたって、「それで、どうするの? 怒ったってどうしようもないでしょ。だって親もいないし、お金だってないし。お兄さんに怒って何かが解決するの?」と返されるだけな気がして、わたしは何も言えませんでした。

 それからというもの、彼らのような人を助けるためにわたしたちは何ができるのだろう、ということを考え始めました。彼らのことを「なんだか放っておけない」と。

 こうした数々の出来事を経て、高校を中退した非行少女は、外交官を目指すことになったのです。

人生何が起こるかわからない

 わたしは10代の頃、特にやりたいことがないということを言い訳に、高校を中退し、別に行きたいわけでもないクラブやカラオケで夜を明かし、無気力な日々を送っていました。『日本昔ばなし』がわたしの目を覚ましてくれるまで、「どうせわたしの人生はこんなもんなんだ」と思っていました。いま、あの日々を振り返ってみて思うことは、後悔です。もしも、あのときに戻れるなら、絶対に同じことは繰り返しません。

 でも、その一方で、もしかしたら、あの無気力な日々も自分には必要な時間だったのかもしれない、と思うこともあります。無気力な時間を過ごしながら、もしかしたらわたしなりに小さな成長をしていたのかな、あの無気力生活がなければ、今の自分はなかったかもしれないな、とも思います。

 人生何が起こるか、ほんとうにわからないものです。逆に言えば、その気になれば、何でも起こせるんだ、と今では思っています。

 この本を手に取ってくださっている方には、いろんな方がいると思いますが、どんな人も、自分の可能性を自分でせばめてはいけません。「自分はどうせこんなもんだ」とか、「自分にはこれは無理だ」なんて、決して思わないでください。

 夢を叶えるためにはもちろん努力が必要です。ときには血のにじむような努力をしなくてはならないかもしれません。でも、頑張ればきっと大きなものを得られます。1回や2回くらいつまずいたって、どうってことないのです。もし、つまずいたら、そこからまたやり直せばいいだけの話です。

 みながみな、順風満帆の人生を送っているわけではありません。私のようにつまずく人だってたくさんいます。だけど、つまずくことがその後の人生の活力になることだってあるのです。だから、もし転んでしまったとしても、失敗から学び、そこから立ち上がり、そしてセカンドチャンスをつかみにいけばいいだけの話です。

 若い人は社会の宝です。頭がいいとか、優秀かどうかなんて関係ありません。みんなが社会の宝です。その若い人たちが、自分の未来に希望を持ち、そして夢を叶えるために努力する活力を持ってくれれば、これほど心強い社会はありません。

この連載について

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高校チュータイ外交官のイチからわかる!国際情勢

島根玲子

貧困、移民、難民、食料、エネルギー、関税、自由貿易、核兵器……etc.やりすごしている重大問題丸わかり! 元コギャル外交官が明快解説する『高校チュータイ外交官のイチからわかる!国際情勢』から特別連載!

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