「あぁ、『都会に疲れた系』ね~」
その言葉を聞いた瞬間、なんだかモヤモヤした。
「都会に疲れた系」とは、「都会でバリバリ働いていたけど、仕事を辞めて山小屋に来たアラサー以上の人」を指す造語らしい。
たしかに、ここ数年そういう人がとても多い。仲良くなったスタッフにもたくさんいる。
だけど、その人たちは本当に「都会に疲れて」山小屋に来たのだろうか?
『都会に疲れた系』というカテゴライズにモヤモヤ
その日はNさんと会っていた。
Nさんは山小屋のOGだ。私が小屋ガールになったときにはすでに山小屋を辞めていて、一緒に働いたことはない。たまに山小屋に遊びに来るので、顔見知りになった。
「今年はどんなスタッフがいたの?」
Nさんが聞く。
私は「いろんな人がいましたよ~。○○で働いてた子とか」と答えた。
○○は誰もがその名を知る有名企業だ。有名企業と山小屋というギャップが面白いだろうと思って、その社名を出した。
するとNさんは、
「えー、なんでそんないい会社辞めて山小屋に来たんだろう? ○○のほうが絶対に安定してるでしょ」
と言った。
えっ!
たしかに、山小屋よりも、下界の大手企業のほうがよっぽど安定している。
だけど、それって当たり前すぎるほど当たり前のことだ。大手を辞めてくる人はそもそも山小屋に安定を期待していないと思う。前職のほうが安定していることは百も承知で、それでも山小屋に来た。そこには何らかの思いがあったのだろう。
「……まぁ、その人なりに思うところがあったんでしょうねぇ」
私がそう言うと、Nさんが大きく頷きながら言った。
「あぁ、『都会に疲れた系』ね~」
……うーん。
都会でバリバリ働いていたアラサー以上の女子が、仕事を辞めて山小屋に来る。
そういう人のことを「ああ、都会に疲れたのね」と解釈したくなるのは、わかる。そう考えるのはきっとNさんだけではないだろう。
だけどやっぱり、他人が勝手にカテゴライズすることにモヤモヤする。
仕事を辞めることも、山小屋に来ることも、その人の人生において大きな決断だったはずだ。
その決断に至るまでにはそれぞれの思いがあって、もしかしたら、私やNさんには想像もつかないような葛藤があったかもしれない。
私はひとりひとりの決断を尊重したいし、安易な決めつけはしたくないのだ。
この10年で新人スタッフの傾向に変化が……?
山小屋に来る理由は人それぞれだ。
私はというと、第一話に書いたとおり、新卒で入った会社を数ヶ月で辞めて山小屋に来た。23歳のときだ。
当時の私は、「山小屋で働きたい!」というポジティブな動機ではなく、「下界の社会に適応できない」というネガティブな動機で働きはじめた。
つまり、山でしか働けなかったのだ(それが事実かどうかはさておき、少なくとも私はそう思っていた)。
私が小屋ガールになった10年前は、同じように「社会不適合者」を自称する人が多かった。もともとフリーターだった人や、仕事を転々としている人。正社員で3年以上働いた職歴を持つ人は少なくて、山小屋で働きはじめる年齢も、20代前半がもっとも多かった。
だけど、それから10年。
山で働きはじめる年齢は年々上昇し、今や40代の新人もざらにいる。正社員歴の長い人も、高給取りだった人も、役職についていた人もいる。
彼ら・彼女らは、山でしか働けないわけではない。下界でも働けるけど、山で働くことを選んだのだ。
じゃあ、その理由はなんだろう?
「私、頑張ればなんでもできると思う」
「30歳になったし、人生変えようって思ったんだよねぇ」
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