平成30年間のJ-POP

00年代「大人しくしていよう」という社会の雰囲気に、音楽業界も飲み込まれた

J-POPの数々の名曲で日本の音楽シーンを支えてきたキーボーディスト・斎藤有太さんと、ユニコーンのメンバーとして、音楽プロデューサーとして、ソロアーティストとして日本の音楽を開拓してきたABEDONさん。大反響の対談、第三回は、00年代のお二人の活動と、楽曲制作の時代変化に迫ります。(聞き手、構成:柴那典

写真一枚で氣志團に決めた

— ABEDONさんは90年代後半からプロデューサーとして本格的に活動を始めるようになります。そこにはどんな思いがあったんでしょうか?

ABEDON 僕は10年ごとに区切って目標を決めてきたんですけど、30代はバンドを一つ成功させようと考えたんです。というのも、いろいろあって、ユニコーンに感謝ができるようになったんですね。フェラーリも買えたし、女の子にもモテたし、美味しいものも食べられた。いい思いをしたわけですよ。だから、20代の時にこんなに面白かったということを、今度は誰かに体験させなきゃいけない。そこにユニコーンイズムというか、自分の考えを入れて、反応させて成功させるということをしようと思った。

— なかでも氣志團のデビューに携わったのは大きかったと思います。

ABEDON それはね、なんか面白いものないかなってアンテナを張っていたら、うちのベランダにアー写が送られてきたんです。「これだ!」って、音を聴きもせずに決めた(笑)。

— どういうところに可能性を感じたんですか?

ABEDON とにかくアー写で決めたんですよ。そこから出てくるバイブスっていうの?(笑)。

斎藤有太(以下、斎藤) ははははは! そういうところは直感的なんだね。

ABEDON 僕には有太くんと共通しているところがあって。僕たち、暴走族年代なんですよ。しかも僕は「なめ猫」に関わってるんです。

— なるほど! いわば氣志團の元ネタをやっていた。

ABEDON だからまあ、言ってみれば後輩なんです。

生き残るためにはグレるしかなかった

— 斎藤さんも暴走族年代ということですが、10代の頃はどんな感じだったんですか?

斎藤 僕は東京の多摩地区で育ったんですけど、所謂ベッドタウンでとにかく子供の数が多いんです。新興住宅地なんかも多くて昔ながらの地域社会とはちょっと違う。そうすると人間関係がだんだん殺伐としてくるんですよ。

— 人間関係が殺伐としてきた、というのは?

斎藤 はっきり覚えているのは、中2の時に理由はわかんないけど、部活の仲間と上手く行かなくなったんです。その時はその世界が自分の全てだったからすっかり自分も人も分からなくなっちゃった。その内学校も行かなくなって、夜に一人でゲームセンター行ったり、そこにいる仲間や先輩たちと遊ぶ時間が増えて。そうしたらもう完全にドロップアウト。世間で言うところのグレてる状態。でも、音楽はずっと好きでしたね。子供の頃最初に始めたのがエレクトーンで次がピアノで、ロックを好きになって、バンドをやりたいと思ったのも小学校の時だったから。

— その後はどんな感じだったんですか?

斎藤 高校にも一応受験して入ったんですよ。そこに暴走族の先輩がいて、「狂命会」っていうバンドをやっている、キーボードを探してるって。そこに入れてもらったんです。でもその後は学校も辞めて、人間としてどんどんダメになっていって、人を騙したり嘘をついたり平気でしてた。悲しい時代です。ただ、そのバンドの人達との時間はすごく楽しかった。そこが唯一の自分の居場所だったから。その頃からこのバンドでプロになりたいな、音楽しかもうないなって思ってた。そんな感じでしたね。

ABEDON まあ、若いときはぶつかるもんなんですよ。上手に生きられないというか、世の中に適応できないというか。普通の職業じゃダメだったんです。「俺たち、音楽がなかったら、何になってたんだろう?」ってみんなよく話すんですけれど。


斎藤有太 ニューアルバム「The Band Goes On」(ダラシナレコード/Sony Music Artists)

イロモノ扱いされず長く続くバンドになるにはどうすべきか

— ABEDONさんは氣志團をプロデュースするにあたって、成功の確信はどれくらいあったんでしょうか。

ABEDON 俺が成功させるって言ったら絶対成功させる。そう思ってましたね。

斎藤 すごいなあ。

ABEDON だってそう思わないと成功しないもん。思わなかったら成功しないですよ。嘘でも言ったほうがいいんです。そのために10年を費やそうと決めて、そのためにはどうしたらいいか考えた。バンドはアマチュアでデビュー前。レコード会社は東芝EMI。会社は「見た目がアレだからとりあえず1枚売ってくれればいい」と言う。でも、僕としてはそれじゃ困るんですよね。一丁前のバンドとして成功させるために、とりあえず3年間預けてもらった。で、その間に結果を出すためにどうするかをいろいろ考えたんです。そこで自分がやっていたことが生きてきたわけです。

— どんなことを考えたんでしょうか?

ABEDON 例えば、氣志團が最初に出るテレビ番組はどれだろう、とか。ルックスがルックスなんで、みんな寄ってくるのね。それを弾く作業からまず始めた。で、そういうことを模索しながらレコーディングは本当に技術力を上げることをやって、イロモノ扱いされずに長く続くバンドになるにはどうすべきかを考えた。たとえば、某テレビ局の人気番組からオファーが来たんです。ただ、僕はその番組の人たちをすごく知ってて、彼らがそこに出たらどんな風に扱われるかもよく知ってたんです。だから、それを断って「最初に出るならNHKかな」って(笑)。

斎藤 その発想に至るのが他の人と違う。(笑)

ABEDON NHKからオファーが来るのをじっと待っていたの。そこは意地というかね。そういうことがユニコーンを再結成したときにも生かされてますね。ミュージシャン主導じゃないといけない、と。

斎藤 たしかにテレビの音楽番組って、そうじゃないのもあるからね。

ABEDON だからそういうのは全部弾くんですよ。なんでかっていうと、上の世代の人がそれを簡単に良しとしてしまったら、若い人がやらざるを得ないから。これは今の話になっちゃうけど「ユニコーンだってやってんだぞ?」って若いバンドが言われたら、しなきゃいけなくなっちゃうでしょう? だから一つ一つの決定に責任が出てくるんですよね。そういう中で、できるだけ格好よくあるにはどうすればいいのかをいつも考えてるんです。そうすると面倒くさくなってお家帰りたくなっちゃうんですけど(笑)。

斎藤 (笑)まあ、面倒くさくなるよね。それは本当にそうだ。


ABEDONさんがビルボードライブ東京で行った初のソリスト公演
Blu-ray「SOLOIST WITH NO LIST at Billboard Live TOKYO July 25, 2018」

生演奏の制作自体が極端に減っていった

— 斎藤さんは00年代に入って、ゆずや藤井フミヤさん、森山直太朗さんなど、沢山のアーティストの楽曲に携わっています。奥田民生さんと出会ってミュージシャンとしてのあり方が大きく変わったと仰っていましたが、この時期はどういう風に制作の現場にいらっしゃったんでしょうか。

斎藤 相変わらずセッションミュージシャンではあるんですけれど、民生くんと一緒に、彼のソロアルバムのレコーディングをしたり、陽水さんとのアルバムやPUFFYのアルバムを制作する中で、自分がクリエイトに参加しているという感覚ができたんですよね。譜面が来たらまずはその通りにやるんだけども、自分の中からアイデアを出しながら一緒に作る現場が増えた。アプローチが変わったし、それを面白がってくれる人たちが自分のことを呼んでくれるようになったと思います。

— 00年代に入るとプロ・トゥールズのようなPCでレコーディングできるソフトが徐々に普及してきて、スタジオの環境も徐々に変わってきたと思います。そのあたりはどう感じてましたか?

斎藤 確かに、この頃から「いっせーのせ」でやるレコーディングが徐々に減り始めましたね。テクノロジーの発達で、自分で完結するプロデューサーやアレンジャーが増えてきた。いわゆる卓上で全て成立してしまうという。下手したらミックスまで自分でやっちゃって、それが作品として世に出るようになったというか。

ABEDON 僕、事務所もレーベルも一度やめて、98年に「abedon the company」という個人事務所とレーベルを自分で立ち上げたんですよ。その時に僕はプロ・トゥールズを導入しているんですよね。当時はまだ誰もいなかったけど、雑誌でも「プロ・トゥールズがあればなんでもできるんじゃないか」っていう発言をしていて。

斎藤 確かにそういう編集作業をしたり、いろんなアイディアを持って音楽を作る側にとっては、プロ・トゥールズは夢のようなマシーンだったよね。あれだけ時間かかったことが、画面の中であっという間にできるんだもん。

ABEDON しかもそれを自宅でできるっていうのが大きいんだよね。

斎藤 ただ、これはちょっと声を大にして言いたいんだけど、みんな「それでできるなら、そうしてください」ってなっちゃったんですよ。そうすると、それまでのやり方が突然ダメになってくるんですよね。そのことで、音楽の作られ方自体が大きく変わっていった。スタジオにみんなで集まって演奏をするというのは、バンド以外でははっきりと少なくなっていった。当時は「俺が呼ばれる時代はもう終わったんだな」って思ってたんです。でも、本当は生演奏の制作自体が極端に減っていった。それはもちろん時代の変化なんですけど。

面白い人たちがどんどん抜けていった

— 00年代中盤からはMP3やインターネットの普及と共に「CDが売れない」ということが言われはじめて、音楽業界全体が低迷期に入っていった印象があります。

斎藤 一つだけ、当時メジャーレーベルがどうしちゃったんだろうと思ったのは、この頃、やたらカバーアルバムとベストアルバムばっかり出てたんですよ。もちろん新しい作品を作っている人たちもいるんだけど、それをちゃんと作って宣伝するというよりは、やたらカバーとベストばっかり作って売ろうとしていた感じがする。作るのに人手もそんなにいらないしね。焦っているんだなというのは感じてた。

— コピーコントロールCDが発売されたのも00年代中盤ですね。あれが一体なんだったのかちゃんと振り返られてないような気もします。

ABEDON それには、長い歴史があるんですよ。僕はその真っ只中で全てを見ているので、どこまで言っていいのか、すごく迷っているんですけど。

— お聞きしたいです。

ABEDON やっぱり、そのようになるには原因があって。CDがバカ売れした時代に、それまでマイナーだった音楽業界がすごく大きな会社組織になったんですね。そうすると社員も増える。でも、その社員をどうやって優劣つけるのかっていうところに問題があったんです。

— というと?

ABEDON 当時僕たちがいたのはソニー・ミュージックだったんだけど、そこには変な人が結構いたのよ。そういう人たちって、面白いけどエラーするんです。そういう人たちがどんどん抜けていったんですよ。かわりに現場に来ないような人たちが上にあがっていった。で、そういう人たちがオーディションで見つけてくる新人って、僕たちが見つけてくるものと全く違うんです。下手でも面白い、特色のあるやつならいいんだけれど、誰かに似てるそつのない人ばっかりになってくる。そうすると、聴いてる側は敏感なんで気付くんですよね。なおかつ、CDからフォーマットが変わっていったときに、本当は新しいものをどんどん取り入れてパイをどうやって広げるかを考えなければいけないんですよ。なのに今あるものを守ろうという考えの人が会社に残ってしまった。

— 人の問題もあったんですね。面白くてイノベーティブな人が減ってしまった。

ABEDON そう。これは誰かを批判しているわけじゃなくて、全体的な世の中の傾向としてそういう流れがあったということですね。社会全体に「大人しくしていよう」という感じがあって、音楽業界もそれに飲み込まれた。その結果として「CDをコピーさせないようにするにはどうしたらいいか」っていう考えになった。それって、節約術の考えなんですよ。

斎藤 たしかにね。ちゃんと予算が動くような現場でもそうだったから。個人ではずいぶん楽しくやっていたけれど、「これは困ったぞ」と思うことも沢山あった。いわゆる業界っていうところで見ると、そういう雰囲気はあったかなと思います。

ABEDON 音楽はやりくりじゃないからね。CISCOのレコードバッグ持ってたら格好いいとか、サイケデリックで奇抜な格好してたら最先端だとか、そういう風にカルチャーの先端を引っ張らなきゃいけないものだと思うんですよね。

次回は10月17日公開予定



斎藤有太 ニューアルバム「The Band Goes On」(ダラシナレコード/Sony Music Artists)


ABEDONさんがビルボードライブ東京で行った初のソリスト公演
Blu-ray「SOLOIST WITH NO LIST at Billboard Live TOKYO July 25, 2018」

この連載について

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平成30年間のJ-POP

ABEDON /斎藤有太

年号が平成になったのとほぼ同時期に、「ニューミュージック」から呼び名が変わることで「J-POP」は誕生しました。90年代に入ると、バブル崩壊も関係ないかのようにミリオンセラー作品が多数生まれました。テクノロジーの進化で制作環境も視聴環...もっと読む

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コメント

riemink 第三回も濃度高くてありがたいとしか…。團プロデュースの話はもちろん、CCCDのことはなるほどと。 https://t.co/kCpqGIXNXf 5日前 replyretweetfavorite

koemi425 あべどーん、ちゃんと考えてくれてありがとうございました。 「昔の自分を見てるみたいで、ほっとけない」って昔、何かで言ってたもんね。何だったか忘れたけど。 https://t.co/swVIRVjKCD 6日前 replyretweetfavorite

miejiro178 あとで読むφ(..) https://t.co/ZoXzu9XjtL 6日前 replyretweetfavorite

moka2maron5 ほんとにおもしろい‼️ この2人の対談は🎉 ドンさんは根っからの プロデューサーだなぁ👍😊 https://t.co/C1njjZX96h 6日前 replyretweetfavorite