「──あなたは、自分自身のためにその指輪を買ったわけですね?」
「はい。」
「あなたのお子さんのためではなく?」
「……自分のためです。……はい。」
「けれども、あなたはその指輪を、お子さんに持たせていた?」
「それは、指輪を持たせると、かわいくて、喜んで泣き止むからです。その時だけです。」
「つまり、あなたは、お子さんがその指輪を手に持っていることを知っていたし、ご自身で指輪をお子さんに持たせることもあった、ということですね?」
「だから、その時だけです。見てる時だけ、……はい。」
「お子さんを泣き止ませるために、その指輪をおしゃぶりとして使ったこともあったのではないですか?」
「そんなことしてないです! いいえ。……でも、作った人は、子供が口に入れるかもしれないって、注意すべきだと思います。いくら大人用の指輪でも、若い女性が買えば、小さい子供が家にいることも多いんですから。大学生が、こんなものを勝手に作って売るのは、無責任です!」
「──甲5号証の原告の自宅内の写真を示します。あなたの自宅リビングにはマグネットがありますね?」
「はい。」
「これは、子供のオモチャではないですね?」
「え?……はい。……」
「あなたはマグネットを子供の手の届かない高さに置いていますね?」
「……はい。」
「あなたの自宅には、今回、問題になっているものとは別の指輪もありますね?」
「……はい。……」
「ピアスもありますか?」
「……はい。」
「あなたは、その指輪やピアスは、子供の手の届かない場所に置いていますね?」
「……。」
「どうですか?」
「……はい。」
「子供が間違って飲まないように。──そうですね?」
「……それは、……」
「けれども、今回の指輪は、子供の手の届くところに置いていた?」
「……。」
「置いていただけではなく、あなた自身が、お子さんに持たせたりしていた。──そうですね?」
「……だから、……はい、そうですけど、……」
「──終わります。」
午前中に、横浜地方裁判所で民事訴訟の口頭弁論を終えて、城戸は、事務所の共同パートナーの中北と、中華街で昼食を摂っていた。
出来立ての黒酢酢豚の肉を、何の気なしに口に放り込んでしまったために、舌の先を火傷したようだった。
「あんなの、よく訴えさせるなと思ってたけど、人相の悪い弁護士やったな。何期かな? 初めて見たけど。」
「マスコミも結構いましたね。……ネットでも、『親の不注意だろ!』って叩かれてて、原告もかわいそうですよ。和解は絶対しないって言ってるから、裁判は負けるでしょうし、シングル・マザーで、脳に障害が残った子供を抱えて、これからどうするのかなと思うと、……気が滅入りますね。」
藤沢にある大学の院生が、3Dプリンターで作製したアクセサリーをネットで販売していたところ、購入者の子供が誤嚥で窒息し、一命は取り留めたものの脳に重い障害が残ってしまった。それで、母親がその作製者の女子学生を相手に二億円の損害賠償を求めて訴えを起こしたのだった。
城戸は、被告の学生が研究室の3Dプリンターで作った、ポップで色鮮やかなピアスやチョーカーに感心した。最近では、イヴェントで配るノベルティなども作っていて、この一年間で、四十七万円の売り上げになっている。労働時間を考えると、利益はささやかだが、本人の意思としては、デザイナーとしてこれを本業にしたいらしかった。他方で、企業が当然入っている生産物賠償責任保険には入っておらず、事業所得が二十万円を超えると確定申告が必要であることさえ理解していなかった。
城戸は、いつ会っても窒息した子供のことを思って泣き出してしまう被告の学生をかわいそうに思っていた。彼女自身も、ネットでバッシングに曝されていて精神的に不安定になっており、今後は一切、アクセサリー販売はしないと語っていた。しかし、そうして一つの才能が、表現の行き場を失ってしまうことは惜しかったし、法的にも不当と思われた。
裁判では、そもそもアクセサリーは子供が玩具として遊ぶことを想定しておらず、設計上、通常有すべき安全性を欠いていたとは言えない、として原告と争っていた。同様のサイズや形態の何らかのモノは、家庭内に幾らでも存在している。原告の弁護士は、丁寧な注意書きを添付しなかったことが欠陥に当たると主張しているが、彼女のアクセサリーにそこまでの表示義務があるとは思われなかった。今後の社会のセキュリティのためには、こうした趣味的な個人の創造性の責任も問うべきというのは、一般論としては一理ある視点だが、法廷では無理があった。……
「──そう言えば、最高裁で婚外子の相続格差の規定に違憲判決が出たので思い出したけど、例の宮崎の件はどうなってんの?」
中北は、最近、この店で人気だという回鍋肉カレーなるものを注文して、けっこうイケる、といった顔で、額に汗を滲ませながらパクついていた。
ドラムが趣味の兄貴分的な雰囲気の男で、瘦けた頬の疎らな柔らかい無精髭には、弁護士らしからぬ色気があった。家庭とバンドで忙しそうなのに、刑事事件が好きで、今でもよく引き受けている。どんな悲惨な事件でも法理一徹で、何度か、彼のガッド・ギャング風のバンドを聴きに行ったことのある城戸は、その腹の据わったリズム・キープに、非常に性格的なものを感じた。大学時代に、やはりバンドでベースを弾いていた城戸とは昔から気が合い、今の事務所を設立する際に一番に声をかけたのが中北だった。
「なりすましてた男の死亡届と婚姻届は無効になりました。」
「そう? ま、それくらいかなあ、出来ることは?」
「個人的な関心もあって、『谷口大祐』って男の所在と、彼になりすましてた〝X〟が誰だったのかは、引き続き、調査してますが。」
「そら、気になるわな。──その人たちは、どんな音楽聴いてたの? 音楽の趣味は、なかなか偽れんやろ?」
「ああ、……〝X〟は、どうなのかな? 絵を描くのは好きだったみたいですけど。谷口大祐の方は、マイケル・シェンカーが好きだったみたいですね、元カノによると〝神〟だったって。」
「そりゃ、絶対いいヤツだよ。」と中北は笑った。
「断言しますね?」
「あの時代に、地方で泣きながらマイケル・シェンカーを聴いてた人に悪いヤツはいないね。俺にはわかるよ、それは。」
「中北さんも、そういうの聴いてたんですか? 意外ですけど。」
「だって、八〇年代だから。──そう言えば、あの辺の人たちは、まだ結構がんばってて、来日したりしてんだよね。うちのバンドのギターも、久しぶりにライヴに行って懐かしがっとったわ。客はオッサン、オバハンばっかりみたいだけど。谷口って人だって、コンサート会場に行ったら、案外、見つかるんじゃない?」
「確かに。……考えてもみなかったな。」
「音楽の趣味も変わるけど、いい思い出は残るから。ファンのコミュニティ・サイトとかチェックしてたら、どっかにおるかもしれんよ。」
城戸は、腕組みしてしばらく考えていた。それから、カレーを平らげた中北が、水のおかわりを注文してまた口を開いた。
「あっちの方はどう? あの過労死の訴訟の方は?」
「十月に第一回期日なんで、関係者に話を聴いたり、まあ、色々。……」
城戸は、最近では、常時、五十件ほどの仕事を抱えているが、飲食店に勤務していた二十七歳の男性が、法外な長時間労働の果てに自殺し、遺族が会社と経営者を訴えているこの事件は、中でも気が重いものの一つだった。
「大分、お疲れみたいやな。」
「はは。……まあ、でも、何だかんだで、他人だから出来てることですよ。今更ながら思うことですけど。」
「根本的なことだよ。──夏は、結局、どこも行かなかったんだっけ?」
城戸は首を横に振った。そして、そのまま口を噤むつもりだったが、
「今ちょっと、あんまり家庭がうまくいってないんですよ。」
と自分でも思いがけないことを打ち明けた。
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