新庄剛志】激しい気性の母ちゃん、超優秀だった姉ちゃん #13

◆◆スター”新庄剛志の「明るく元気な告白本」『わいたこら。
破天荒な父親のエピソードを紹介した前回(第12回)に続き、今回も家族のエピソードを紹介します。新庄さんの原点がここにあり! 

親父は仕事が終わると居酒屋に通うのが日課だった。

特に立ち飲み屋が大好きで、僕も小学校に上がる前から、よく連れて行ってもらった記憶がある。酔っ払いの大人たちに、一人だけちびっ子が紛れ込んでいるから結構目立つ。
「おいボウズ、これ食べろ」
いろんなつまみをもらったりして、みんなからかわいがってもらっていた。

家には、親父と付き合いのある職人さんが来ることも多かったから、大人に接するのは慣れっこだった。
あまり人見知りしないで話ができるのは、こんな経験が役立ったのかもしれない。

ただ、親父には喧嘩っ早いところもあって、ちょっとしたことで飲み屋のお客さんとよく喧嘩になっていた。
大人同士の喧嘩を見るのは怖かった。親父の喧嘩を見て泣いたのは、一度や二度じゃない。

あるときなんか、暴走族が走っているところに、親父が「うるせーぞ!」と一人で乗り込んでいったことがある。
そのときは、ボッコボコにされて、あばら骨を折って帰ってきた。
それでも次の日には、普通に仕事をしていた。

親父はひどい熱が出ても休もうとはせず、「これは病気じゃない」とか言って、普通に仕事に出掛けていた。仕事に行くだけじゃなくて、いつも通りに飲みにも行っていた。で、いつものように明け方近くに帰ってきた。

どんなに帰りが遅くても、翌日は寝坊なんてしないで、朝6時には起きて仕事に行っていた。睡眠時間は2~3時間。
やっていることはめちゃくちゃだけど、「疲れた」とか「今日は休み」なんて絶対に言わないところは尊敬していた。

プライベートで何があろうと絶対に言いわけをせず、ただ黙々と目の前の仕事をやり続ける。
ちょっとハチャメチャな親父だけど、仕事の厳しさ、仕事をやり抜くことの大切さ、格好良さを、僕は親父の背中を見て学んだ。

親父は僕の成長がとにかく楽しみだったんだろう。
僕の高校時代、親父は毎日のように野球の練習を見に来ていた。
僕は寮で暮らしていたから、親父が僕の顔を見られるのは練習中だけ。僕に変わった様子がないか、心配で見に来ていたというのもある。

普通、選手の親は試合のときは応援に来るけど、練習にまで顔を出すなんてことは滅多にない。
すぐに野球部のチームメイトに顔を覚えられるようになって、どういうわけか陸上部とか他の部活の連中にまでも、親父の存在は知れ渡るようになった。

親父は、僕がメジャーに挑戦したころ、断りもなく勝手に僕のことを書いた本を出版した。どんな話を書いていたのか読んでいないけど、親父はこのときのことを振り返って「父親が真剣に息子の練習を見れば、取り組む姿勢も違ってくる」なんて書いていたらしい。

だけど本当のことを言えば、当時は思春期だったし、見に来てくれて嬉しいというより、「マジで仕事しろよ」と思っていた。仕事に妥協しなかったのと同じくらい、親父は息子の応援にも妥協しなかったみたいだ。

「荒れた手」の秘密

そんなある日のこと、僕は意を決して、練習を見に来た親父に革手袋を買ってほしいと頼みこんだ。
小さいころから、ほしいものを買ってもらえたことはほとんどなかった。だから、「あれがほしい」とか物をねだったことはない。

でも、真冬の寒い日に、革手袋なしで練習するのは相当キツい。
しばらくは素手で我慢していたんだけど、痛くてどうにもならなくなった。おそるおそる頼んだら、親父は「おお、わかった」と言って、次の日、寮まで革手袋を届けに来てくれた。

それからしばらくして、正月に実家に帰ったとき、親父の手を見て驚いた。手がザラザラに荒れていたんだ。
「なに、その手。どうしたん?」
「あー、ちょっとかぶれただけや」
「ふーん」

そのときは、それで終わったんだけど、後で母ちゃんから理由を教えてもらった。
「お父さんは、仕事に使う軍手のお金で、あんたの手袋を買ったんだよ。素手で仕事をしていたからやろ」

親父、マジでありがとうと思った。
軍手のお金くらい仕事をして稼げよ、とも思ったけど。

親父は親父なりに真剣だったんだろう。
とにかく僕を野球選手にすることに夢中だった。
僕は真剣に向き合われると、やっぱり応えたくなる人間だ。だから親父のおかげでプロ野球選手になれたというのは、その通りだ。

プロ入り直前に起こしたトラブル

高校の卒業間近で、すでにタイガースへの入団が決まっていたころのこと。

その日はクラスで学期末のテストがあった。
斜め前に座っている女の子が早めに問題を解き終わって、答案用紙の裏に絵を描いていた。それに先生が気づいて彼女を叱った。その子は答えを書き終わって時間潰しにやっていただけだと弁解したけど、先生の怒りは収まらなかった。

そのとき、僕は彼女の言い分が正しいと思った。そして「テストも解かないで絵を描いているのはダメだけど、全部問題を解き終わっているんだから、絵を描いても別にいいじゃないですか!」と、先生に抗議したんだ。
「なんだと、お前には関係ないことだ!」 先生と僕との間で言い合いとなり、つい、手を出してしまった。

野球部の監督が顔面蒼白で飛んできて「お前、どうするんだ。もうプロ入りが決まっていることをわかっているのか?」と、やっぱり叱られた。
それから生徒相談室で7時間くらい正座をさせられて、来る先生、来る先生にこっぴどく叱られたんだ。でも、まあ仕方ない。
「プロに行くのが決まっているのに先生を殴るなんて自覚が足りなすぎる。もうプロには行かせない。とりあえず親を呼べ」

そのとき親父は広島で仕事をしていたんだけど、大急ぎでやってきた。あの時代、携帯もなかったのに、どうやって連絡を取れたんだろう。
戻ってきた親父は、先生たちに必死で謝っていた。

いろいろあったけど、教頭先生が「こいつはプロで伸びるからなんとかしてほしい」と校長先生を説得してくれたおかげで、僕はプロ入りすることができた。

そのとき、ケジメとして頭を五厘刈りにさせられたので、タイガースのキャンプも五厘刈りのまま参加することになった。 さっそく、先輩たちにからかわれた。
「おい、その頭どうしたんや?」
「はい、プロに入るので、気合いを入れてきました」
同じ福岡出身の真弓(明信)さんには、バレバレだった。
「ウソつけ。何かお前、悪いことしたやろ?」

あのとき、親父は何時間もかけて広島からやってきた。
先生たちに必死に謝っている親父の顔が、どうしても忘れられない。
親父の気持ちもわかる。プロ野球選手という人気職業につく人間が、こんな事件を起こしてはダメだ。
先生たちに平謝りの姿を見て、あれだけデカい存在だった親父が、ちょっと小さく見えた。
それと同時に、これからは僕が親父に受けた恩を返す番だ。だから絶対にプロで活躍して、親父を喜ばせよう、という強い決意も生まれたんだ。

激しい気性の母ちゃん

母ちゃんは気が強くて、感情の起伏が激しい。破天荒であけっぴろげな性格の親父とは、何かと衝突していた。

ある晩、親父がいつものように飲んで帰ってきて、「おい、起きろ!」と言いながら、布団に入っている母ちゃんをちょっとだけ蹴った。

飲んで帰って、いきなり「おい、起きろ!」はないもんだ。母ちゃんも、それまでにいろいろな鬱憤がたまっていたんだろう。急にガバッと起き出したかと思うと、台所に行って包丁を取ってきた。
どうするのかと思っていたら、大声を上げて、そのまま躊躇なく親父に向かって突っ込んで行った。

親父は合気道の心得があるから、すんでのところで避けて、母ちゃんが包丁を持っている手を返して投げ飛ばした。そうしたら母ちゃんはもう一度起き上がって、今度は左手で包丁を持って親父を刺そうとした。なんともアブない母ちゃんだ!

刺される前に母ちゃんを押さえ込んでなんとかなったけど、親父もびっくりしたらしい。反省したのか、次の日からしばらく親父がおとなしくなったのを覚えている。

親父は死ぬ直前、高知のがんセンターに入院していた。僕がバリから高知までお見舞いに行くと、親父はもう完全に弱っていた。素人の僕が見ても、もう長くないのがわかった。

親父が死んだとき、付き合いの多い人だったから、葬儀場のビルの1、2階を貸し切りにした。でも、親父の人気は予想以上で、お悔やみの人は、あれよあれよという間にビルの4階、5階までいっぱいになった。
いつもガチンコで勢い良くぶつかっていた親父と母ちゃんだったけど、もう、喧嘩もできなくなってしまったんだ。

超優秀だった姉ちゃん

姉ちゃんとは、ほとんどしゃべった記憶がない。印象に残っているのは、このエピソードくらいだ。

子どものころ、3か月に1回くらい、姉ちゃんと僕が1つずつソフトクリームを買ってもらえる日があった。
あるとき、よそ見をして人にぶつかったせいで、姉ちゃんが買ったばかりのソフトクリームを地面に落としたことがある。
姉ちゃんは、落ちた瞬間から、もうワンワン大泣きしている。もちろん、新しいソフトクリームを買ってもらえるほど甘くはない。

見るに見かねて僕が自分のソフトクリームを差し出した。

「食べていいよ」
僕は半分ずつソフトクリームを分けるつもりだったんだけど、僕がちょっと目を離しているスキに、姉ちゃんは全部食べやがった!
「もう最悪。こんな人間にはなりたくない!」
子ども心に、強烈にそう思った。これってよくある、他愛もないエピソードなんだろうか。今でもなぜか、そのことが忘れられない。

もともと姉ちゃんはスポーツ万能で、めちゃめちゃ頭が良かった。家で勉強をしているところなんて一度も見たことがなかったけど、偏差値76の高校で成績トップになるくらいに勉強ができたんだ。

あんまり不思議だったので、一度だけ聞いたことがある。
「姉ちゃん、なんで勉強してないのに、いつも100点を取れるの?」
「そんなもん、先生の言っていること聞いてたらわかるやろ」
姉ちゃんが言うには、授業中に先生が話したことを覚えていて、テストになったらそれを書くだけ。僕にはまったく理解できない世界だった。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

一寸先は闇じゃない。一寸先は、光なんだ!「栄光」「挫折」そして「復活」。波乱万丈エピソード!

この連載について

初回を読む
新庄剛志『わいたこら。』

新庄剛志

テレビ『しくじり先生』で、「20億円を使いこまれていた」と衝撃の告白をし、日本中にセンセーションを起こした新庄剛志さん。失意のどん底で、何を考え、どう乗り越えたのか!? 新庄剛志さんが自身の半生を綴った『わいたこら。』(学研プラス)を...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません