自分の芝居がどうこうではなくて、
常に『これが最後の仕事でもいいや』という気持ちでやって、
実際にそう思えたとき。
それが自分にとって、いい仕事ができたと感じる瞬間かな。
(風間俊介,1983-)
イジメっ子・犯罪者役・声優…ジャニーズらしくない仕事
風間俊介は〝ジャニーズだとは気づかれずにお茶の間の認知度を高めていった男〟と言っても過言ではありません。
この10月から務める情報番組『ZIP!』のパーソナリティーをはじめ、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックではNHKの番組レポーターを務め、その他にもNHK教育テレビの福祉情報番組『ハートネットTV』や『ニッポン戦後サブカルチャー史』でのレギュラーなど、様々な分野に関して話す仕事を多くもつ風間。
俳優としては主演2本を含む出演映画が9本あるのはジャニーズでも演技派の証拠です。鴻上尚史氏演出のものなど舞台にも20作以上出演しています。
2012年のNHK朝の連続テレビ小説『純と愛』ではヒロインの夫という重要な役を好演。1999年の『3年B組金八先生 第5シリーズ』での、親を刺した容疑で逮捕されてしまうイジメっ子・兼末健次郎や、坂元裕二脚本の『それでも、生きていく』での犯罪者の役など、アイドルの王道とは言えない役もしっかりこなします。今は亡き演出家・つかこうへい氏も「風間には狂気がある」と評したほど。
アニメ『遊戯王』の声優も長年務めるなど、ジャニーズの中でも多岐に渡る仕事をしているのが風間なのです。
異端のジャニーズ
風間が異色のジャニーズなのは、仕事の幅だけではありません。現在活躍するほとんどのジャニーズタレントが経験しているCDデビューをしていない上に、30代前半で一般女性と結婚したというのもジャニーズとしては異色。さらには「残念ながらあまり体力がありません。休日は、大体、家で本を読みます」という文化系。
顔に関しても「イケメンって言ってくださっても僕の中では異常な違和感が生まれる」「クッキリ二重の美男子ばかりがいる事務所に、思いっきり一重の僕が入った時点で異端なんですよ(笑)」と自ら笑います。
自身のことを「地元では神童だとかって言われていた人間が、意気揚々と進学校に入学したら、いきなり最下位になっちゃったみたいな話」と例え、スタート地点での困惑が垣間見えます。それもそのはずで、1997年に入所した風間にとって、ジャニーズJr.として生きてきた時代は、同世代に現在の嵐や関ジャニ∞、滝沢秀明にKAT-TUNまでいる黄金期。Jrの番組で司会をするなど目立つ位置にはいたものの、風間は多くの仲間や後輩たちのCDデビューを見送っていくことになります。
金八で注目も…21歳で踊らないジャニーズに
最初の転機は1999年の『3年B組金八先生』。
「ドラマ『3年B組金八先生』で初めて演技したとき、すごくほめていただいたのがとても嬉しかったんですね。自分に向いているものを見つけた!という思いで、その嬉しさのまま俳優を続けている感じです」と役者としてのスタートを語ります。
その後も舞台や深夜ドラマ等への出演はあったものの、次に世間的に大きな注目を集めたと言えるのは2011年の『それでも、生きてゆく』。これがプライムタイムの現代劇としては実に10年ぶりの連ドラレギュラーだったことからも、その苦難の道が想像できます。
実際、2002年には山下智久・生田斗真らとJr内で『4TOPS』というグループを結成しますが、その後山下のNEWSとしてのCDデビューにより消滅。21歳頃から、ジャニーズJr.の〝メイン業務〟とも言える踊ることをしなくなっていきます。
〝ジャニーズなのに〟を逆に活かす
そんな風間の生き方を象徴するようなコラムが、雑誌・TVBrosでの連載『ダンスはうまく踊れない』。もちろんジャニーズタレントがTVBrosでコラムを執筆するのは初。タイトルから自虐的ですが、例えば、ある年始のコラム内容はこんな感じのものです。
『どのような大晦日でしたか? ジャニーズカウントダウンは観ましたか? 僕はいましたか? えぇ、いなかったと思います。仮に呼ばれたとしても、持ち歌がありませんからね。やることがありません』
もはや、自虐的を通り越して、〝他の人が持っているものを自分が持っていないこと〟をウリにしようとしているような感じすら受けます。
彼の〝芸風〟はこんな感じで、例えばビジュアル系バンドを題材にした映画の主演でボーカルの役をしたときも「歌を歌うのは6,7年ぶり。ジャニーズにあるまじきこと」と発言。この〝ジャニーズなのに〟を自ら積極的に発信し、自分のウリへと転化しているのです。そう、組織の中で浮いてしまっている場合、それを〝逆に活かす〟という戦法もありえるのです。
〝なのに〟を〝逆に活かす〟風間の戦法の、特に優れたポイントを2つ紹介します。
自己肯定感があるからこその自虐
お気づきと思いますが、風間の自虐的ともとれる発言は、実は根底で自分への肯定感に支えられた前を向いたものです。まだ風間がギリギリ踊っていた2003年・19歳の頃、当時の『4TOPS』のメンバーで並んだインタビューでこんな発言をしています。
「普通は〝歌〟と〝踊り〟なのに、〝芝居〟と〝しゃべり〟に生きようとしてるところが風間俊介のおかしなとこなんですよね。でも、こんなヤツが一人くらいいてもいいのかなって(笑)」
この発言からは、自分の立ち位置を客観的に眺め、異端であることを認めながらも、それを肯定する姿勢が感じられます。他の発言でも、風間は仲間との違いを笑いに変えることはしますが、それを過度に悲観することはありません。「こんなヤツが一人くらいいてもいい」という自分への高い肯定感が根底にあるからこそ、自虐的な発言も痛くならないのです。
同じ組織にいる他の人は、難なくこなしていることが、自分にはなぜかできない。でも、その組織を離れるという選択肢はない。しかし、それは見方を変えれば、同じ組織にいる他の人にはできないことが自分にはできる可能性がある、とも捉えられます。悲観をしすぎずに、異端であることを前向きに捉えると、自分がその中ですべきことが、見えてくるかもしれません。
大きな理想像は持った上で、きちんと流される
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