入院した祖父に送った露草の花のゼリー

都心の会社に勤める「のん」さんは、一見どこにでもいそうな普通のOL。でも平日は昼休みに食べられる草を摘みに出かけ、休日は野草会を主催する。そんな「のん」さんの「365日野草生活」をお届けします。今日は、昨日公開した露草にまつわる、「のん」さんとおじいさんのエピソードをご紹介します。

飢饉、戦争など食料が不足した非常時に食べる野草のことを、救荒植物(きゅうこうしょくぶつ)と言う。

今ではあまり利用することはないが、戦時中にタンポポやハコベを食べていたのは有名な話。
映画化した漫画『この世界の片隅に』にも野草料理がでてくる。

これは、祖父が体験した戦争と、孫の私と野草の話。


祖父が入院した。

大正11年生まれ、現在96歳の祖父は、大日本帝国海軍だった。
第二次世界大戦時、重巡洋艦高雄に電気系統の技術師として勤めた。

海での航海が2年弱ほど続いた。
最後の戦いはレイテ沖作戦だった。

史上最大の戦艦武蔵が被雷して沈没した。
高雄より何倍も大きい戦艦武蔵がやられるのだ。
高雄も無傷ではいられないだろう。

怖くはなかった。自分は軍人だ。覚悟をもって乗船している。
海軍学校で、国のために死ぬのは当たり前だと教育されていた。

飛行機がばんばん飛んできて、ぼんぼんと爆弾を落とされた。
そんなさ中、高雄に魚雷2本が命中し、身動きがとれなくなった。
高雄はシンガポールに着き、祖父は英国の捕虜になった。

捕虜のご飯が美味しかった。
口にはださなかったが、こんな美味しいものを食べている国に、日本は敵わないだろう。と気が付いていた。

シンガポールで日本が敗戦したことを知った。
戦争が終わっても日本に帰ることは許されず、終戦後1年半も経ってからやっと帰国できた。

日本に帰国したが、両親は亡くなっていた。陸軍だった弟も戦死していた。
残ったのは自分だけだ。

食べ物がなくてひもじい思いをした。
その頃は、野草も食べていたそうだ。
※戦時中の表現については、祖父との会話内容から得ました。事実関係と異なる可能性はありますが、祖父の視点での表現をしています。

私が野草を食べていることを、「のんちゃんはノグサを食うんだろ。俺は食いたくないぞ、いっぱい食ったからな」とニカっと笑って言う。

この飽食の時代に、野草を食べている孫の私。
祖父の目には奇異にうつるのかもしれない。

祖父は野草のことを「ノグサ」というので、いつも「ヤソウだよ」と訂正をした。
でもニカっと笑って「ノグサだ」と言う。

何が違うのか分からないけど、野に生える草だから、ノグサでもヤソウでもどっちでもいいか・・・と思いつつ、ノグサの言い方をもし一文字でも間違えると「365日ノグ〇生活」になるので、祖父に「ノグサ」と言われるたびに「ヤソウだよ」と訂正をしていた。


96歳。昨年頃より認知症になり、短期記憶がなくなっていた。
今食べたもののことも覚えていない。

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365日野草生活

のん

都心の会社に勤める『のん』さんは、一見どこにでもいそうなOL。でも平日は昼休みに密かに草を摘みに出かけ、休日は野草会を主催する。365日野草をとって食べる「365日野草生活」を営んでいます。そんな『のん』さんのすてき野草ライフをご紹介...もっと読む

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365nitiyasou @BananaPingu ツユクサで記事を書きました。 ご参考までに。 超ビギナー食材の野草「露草」でパウンドケーキをつくる https://t.co/mbaDKxoQQd https://t.co/7wMVs07VsZ 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

izaken77 戦争と野草の話。すてき。 10ヶ月前 replyretweetfavorite