接客業をしたことがある人と話すと、たまに「うちの店の面白い常連さん列伝」みたいな話題で盛り上がることがある。
どんなお店にも常連さんはいるもので、標高3000メートル近い山小屋だって例外ではない。
ワンシーズンに何度も通ってくださる人もいれば、年に一度、何十年と通い続けてくださる人もいる。
山小屋が好きすぎて常連からスタッフになった人、ヘリが来る日を事前に問い合わせてくるヘリマニアのご家族、「俺こんなに来てるんだからまかないでよくない?」と言う人、特定のスタッフのファンを自称する人。
個性豊かな常連さんたちの話題は尽きない。
常連さんとスタッフの関係は独特だ。何度も顔を合わせるうちに、ゆるい絆のようなものが芽生えてくる。
それは、友情や信頼と呼べるほど確固としたものではない。だけどたしかに存在する、名前のない絆だ。
私は昨年限りで山小屋を辞めたのだけど、今でもたまに、常連さんたちのことを思い出す。正直言って「すごく会いたい!」というほどではないけれど、もう二度と会えないかもしれないと思うと淋しい。
今回は、特に思い出深い常連さんについて書こうと思う。
3000メートル級の山に毎週!?
私のいた山小屋で常連さんといえば、なんといっても宮崎さん(仮名)だ。
宮崎さんは60代と思われる女性。毎週日曜に登ってきて、一泊して翌日下山される。よっぽど強い雨じゃない限りは、きっちりと毎週、同じくらいの時間にやってくる。
私はすっかり慣れっこになっていたけれど、よく考えたら、3000メートル近い山に毎週登るってとんでもないことだ。宿泊費や交通費だってかかる。
いったい、なぜそこまでして登るのか?
その理由は、誰も知らない。
宮崎さんはあまり自分の話をしない。口数の少ない方で、世間話くらいはするけど話題はほとんど山に関すること。
「今年は雪が少ないわね……」「今年は紅葉が早いわね……」といった感じだ。
常連さんの中にはスタッフとの距離感が近い人も多いのだけど、宮崎さんは誰に対しても、自分からはあまり話しかけない。
昼食は毎回同じメニューを注文するけれど、決して「いつもの」とは言わない。小屋の中でくつろいでいるときも、しれっとはじめて来たような顔をしている。「常連ぶる」ということがまったくないのだ。
そういったほどよい距離感や穏やかな人柄、アンニュイで妙に色っぽい口調はスタッフから人気がある。宮崎さんファンを自称するスタッフも少なくなかった。
一度、晴れた日曜に宮崎さんが来なかったことがあった。
「あれ? 今日、宮崎さん来てないよね?」
「何かあったのかな?」
そんなふうにスタッフたちの話題に上がるほど、宮崎さんの不在は違和感がある。
だから翌週、いつものように現れた宮崎さんを見たときはほっとした。
「先週、いらっしゃいませんでしたね」
「孫の運動会だったの……」
そのときはじめて、お孫さんがいらっしゃることを知った。
そういえば、何十回もお会いしていたのに、私は宮崎さんの職業も年齢も知らない。
聞けば教えてくれたのだろうけど、なんだか、宮崎さんにはこのままミステリアスな存在でいてほしいような気もする。
誕生日をセルフプロデュースする常連さん
石川さん(仮名)は常連さんの中で最高齢。ベートーヴェンみたいな髪型が印象的な、明るい男性だ。
はじめてお会いしたのは私が新人の頃で、石川さんは77歳だった。
なぜ年齢を覚えているかというと、山小屋で喜寿の誕生日を祝ったからだ。石川さんは「みんな一言書いてや~!」と無邪気にスケッチブックを差し出した。
えっ、誕生日メッセージって自ら募るもの……?
そのスケッチブックには、何年にも渡り、いろいろな山小屋のスタッフが石川さんへの誕生日メッセージを綴っていた。石川さんは毎年、誕生日をどこかの山小屋で過ごすそうだ。
みんなでいそいそとメッセージを書き、支配人が焼いたケーキにろうそくを灯し、ハッピーバースデーの歌を歌った。
それから5年間、石川さんに会うことはなかった。うちの山小屋に来なかったのか、来ても私が休暇だったのか。ともあれ、私は一度会っただけの石川さんのことを忘れかけていた。
そんなある日、仕事をしていたら「おっ、サキちゃん、久しぶりやなぁ!」と声をかけられた。