殺された記者の取材ノートに残された“暗号”
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ニューヨークタイムズ記者射殺事件は、遺留品の点からも目撃証言の点からも、手掛かりの極めて乏しい事件だった。被害者がアメリカ市民であることもあり、ウィーン警察は当初からウィーン駐在のFBIに合同捜査を依頼した。
被害者はサイモン・フリーマンという四十八歳の男性。離婚経験のある未婚男性。マンハッタンに住戸を持つ記者。
第一発見者はメイド。
クレジットカード決済のされるほとんどのホテルは、改めてチェックアウトの手続きをせずに部屋を空けることが可能である。メイドが部屋の清掃に入った午後二時過ぎまで遺体は発見されなかった。
部屋は荒らされておらず、争った形跡もない。
被害者は床に膝をついて俯くように死亡していた。
防御創はなく、後頭部から脳幹を貫いた22口径の一発の銃弾が致命傷であった。
延髄への一撃は出血も少なく、かつ、一瞬にして麻痺状態から呼吸停止で死亡を招く。殺傷力の弱い22口径でも確実に死亡させることができる。
処刑スタイルといわれる殺害法であり、明らかにプロの暗殺者の仕事であると断定された。
22口径は、殺害ではなく戦闘能力を消失させることを第一目的とした軍隊での使用が義務付けられたこともあるが、9ミリの自動ピストルが中心的な存在となった現在では好む人間が少なくなっている。
ただ、簡単に隠し持つことの可能な大きさであることと、ISIS-22と呼ばれる完璧なサイレンサーとの組み合わせは、国際社会を舞台とする暗殺者には理想的とされた。サイレンサーの名前から、ISISに近いイスラム過激派の特殊部隊が好んで用いることも知られていた。
当然のように凶器は見つからず、発射痕からRuger 22/45 Liteという拳銃であることが判明したが、前歴はなかった。
死亡推定時刻は夜九時前後。
胃の内容物からホテルのレストランでの夕食後、部屋に戻った被害者が待ち伏せしていた暗殺者に遭遇したものと考えられた。
拷問を受けた形跡がないことから、情報ではなく殺害が目的であったことが判る。
ウィーンにおける監視カメラの普及率は低く、犯行現場となった歴史的な五つ星ホテルに出入りした人間の確認もままならなかった。
犯行時刻にホテルを出て行く細身の男が確認されたが、その後の足取りを追いかけるほどの情報は得られなかった。
会社には一週間の休暇届が出されており、被害者のウィーン入りの目的が取材旅行であったのか、それとも個人旅行であったのかもはっきりしない。
ただ、記者がカソリック教徒であることに加え、ISISに関する記事を書いたことがあり、処刑スタイルで殺害されていたことからイスラム過激派組織との関連が否定できず、国家安全保障局(NSA)を巻き込んだ調査は一か月に及んだ。
NSAの巨大な情報処理装置が弾き出した、検討を必要とする項目はふたつあった。
被害者が残した取材ノートの中で直接解読不可能なもの
AAF
PRS XI
BATAC
CRIS
YG F
SKL O GW
と、書きかけの本の草稿、
Kings and Dictators
(王と独裁者)
であった。
被害者のライフワークと思われるこの本はほとんど完成していた。
内容は、世界各地で王家の誕生した歴史と近代の独裁者と呼ばれた人物たちの話であったが、現在も続く統治権を持つアラブ系王家の存在とISIS、そして、新しい独裁者の誕生が懸念されるロシアの現状についても触れられていた。
被害者はこの本に関する取材の中で何らかのタブーに触れたのかもしれない。それが処刑スタイルで殺害される要因となった。
中東諸国にはイスラム過激派を陰で支えていると噂される王国もある。
それでも、具体的なテロの脅威として認識されるまでには至らなかった。
安全保障上は優先順位の低い検討事項と判断され、殺害事件そのものはFBIの管轄として継続捜査となった。
それから一か月後、パリで同時多発テロが起こった。
最大の被害者を出した現場がパリ第十一区のバタクランという劇場で、主犯者がAbdelhamid(アブデルアミド) Abaaoud(アバウー)というベルギー人であったことが、NSAの警戒システムに引っかかった。
AAF
PRS XI
BATAC
が、
Abdelhamid Abaaoud & Followers(アブデルアミド・アバウーとその追随者)
Paris 11(パリ十一区)
Bataclan(バタクラン)
を意味していると解釈されたからである。
記者の取材は、いみじくも、テロリスト組織のかなり核心的な部分に触れていたのかもしれない。
だとすると残りの検討事項も重要な意味を持って来る。
特に、
CRIS
YG F
SKL O GW
が、次の犯行現場を意味している可能性があるとすれば解読は急がれる。
ところが、パリでの犯行後ISISは自ら次のターゲットをワシントンDCと宣言した。
攪乱戦略である可能性は残るものの、NSAとFBIの合同捜査班もこのノートが特定の場所を示しているものではないとの結論に至った。
それでも重要な情報であることに違いはない。
改めて、
CRIS
YG F
SKL O GW
が意味するものの検討が巨大情報処理システムで行われた。
様々な可能性がリストアップされたが、その中に目を引くものがあった。
CRISPR
Young Geneticist Female(若い遺伝学者、女性)
Boltzmann’s Equation(ボルツマンの公式)
との解釈である。
そこで浮上してきたのが、殺害された当日にウィーンで開催されていた国際外科学会であった。被害者は学会が開かれたウィーンメッセの付近に、少なくとも一度足を運んでいる。
学会ではCRISPRと呼ばれる最新遺伝子技術を用いた癌治療の講演があった。講演者は徳川正敏教授。ウィーン医科大学遺伝子学教授の日本人だった。
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