紙の城の電子の騎士 新入社員・春日枝折の配属先は電子書籍編集部

【第2回】
枝折は見事に老舗出版社への入社を果たす。期待に胸をふくらませて出社した枝折に告げられた配属先は電子書籍編集部!? アナログ人間の枝折が、ペーパーレスのオフィスでパソコンとにらっめっこの毎日。 「う~、なんか思ってたのと違うんですけどぉぉぉ!」文学少女が編集者として一人立ちしていく姿を追いながら、変貌する出版界の明日を占うお仕事小説!

◆紙の城の電子の騎士

 春の空気は、人の心を浮き立たせる。桜の花びらが街を舞うように、足は軽やかに道の上を弾んでいく。

 そう、いつもの年は—。

 しかし、今年は違う。これほど憂鬱な春を迎えたことがあるだろうか。

 就職活動に失敗したわけではない。世間的には大成功したと言える。しかし枝折にとって、あまりにも予期せぬ事態が待っていた。


 入社して三週間が経った。枝折が職を得たのはB社、アルファベット一文字の会社である。

 略した文字数が少ないほど、本命に近い就職先。日本でも有数の文芸系出版社で、高名な文学賞を主催している。多くの小説を出版しており、文芸誌や大衆向けの週刊誌を発行している。

 文芸部に所属していた枝折にとって憧れの存在。つまり志望ド本命の場所だ。

 本来なら箱根駅伝で優勝したチームのように喜び、自分を胴上げするべきだ。それなのに気持ちは沈んでいる。春で浮かれる人々の中、枝折はゾンビのような足取りで、社内の四階の廊下を歩いている。

「あら、どうしたの春日さん。朝から物憂げな顔ね」

 声をかけられて慌てて挨拶する。

 近くまで来ているのに気づかなかった。同じ部署の先輩。といっても年は二十歳以上離れている。

 服部正子、四十四歳。背が低く、小太りの女史だ。

 顔のパーツはよいのに、中年太りと手抜きの化粧のせいで、損をしている。そんな服部のあだ名は、同じ職場になった日に知った。忍者。理由は、足音を立てずに歩くこと、社内事情にやたらと通じていること。動きも素早い。なるほど忍者だと思った。

「春日さん、会社、慣れたかしら?」

「はい、ぼちぼち」

「それにしても、ごめんなさいね、うちの部署、年齢が近い人がいなくて。私が一番年が近いから、教育係に任命されて」

「いや、服部さんには、いろいろと勉強させていただいています」

「おほほほほ、社交辞令、上手いわねえ」

 服部はふわふわした足取りで歩く。枝折は彼女と並んで、部署の部屋に向かった。

 はああああ。思わず心の中でため息を吐く。

 朝からそうした気分なのは服部のせいではない。そりゃあ、入社して配属された先に、年の近い人がいないことには驚いた。

「うちの会社、バブル時代に人を取りすぎたの。そのあと募集をしぼったから、若い社員が少ないのよね」

 初日に服部は、ほほほと笑いながら告げた。

 落ち込んでいる理由は、職場の人間関係ではない。性格が悪い人や、ひねくれた人は誰もいない。全員が優秀。不満などどこにもない。あるとすればただ一つ、配属された部署にある。

 廊下の先に部屋が見えてきた。口から魂が抜ける気がする。電子書籍編集部。それが枝折が働くことになった場所だ。

 望んでいた紙の本を作る仕事とは縁遠い職場。なぜ、文芸系の出版社に入って、デジタルデータを扱わなければならないのだ。

 自慢ではないが、私は根っからのアナログ人間なのだ。紙の本、骨董品の棚や机、そうしたものに囲まれて生きることを至上とする人間。それがどうして、空虚で空疎な電子の本の担当になったのだ。

「おはようございます!」

 九つの机が並ぶ部屋に入った枝折は、建物中に響きそうな大声で挨拶する。

 机の上には各人のノートパソコンを置くスペースがあり、その前には棚があり、無数の本や印刷した原稿が、正月に飾る熊手のように積み上がっている。

 その光景を見て、ここは紛れもない出版社なのだと実感する。しかし、枝折が愛する紙の本に関わることはできない。形のない電子の情報を扱うことしか許されていない。このお預け状態が、憂鬱な気分の原因だ。

「ガンさんは、まだのようね」

 部屋を見回しながら服部が言う。

「いれば分かりますよ。あの大声ですから」

「ほほほ、春日さんも言うわね」

 服部は、視界から消えたかと思うと、素早く自分の席に座り、鞄からノートパソコンを取り出していた。

 マックブックエアーだ。この部署の人間はみな、軽量ノートパソコンを自分で買って職場に持ち込んでいる。

 会社から支給されるのは、デルの重量級だ。持ち運びに不便で、やたらとかさばる。デジタルデータを大量に扱い、様々な場所におもむくこの部署の人たちは、自前で武器を用意していると入社直後に服部に教えられた。

 席についた枝折は、机の上に置きっぱなしのノートパソコンの蓋を開く。まだ給料が出ていないのに、いきなり高額の商品を買う財力はない。それに、この部署の色に染まらないことは、ささやかな抵抗だと思っている。

 パソコンを起動する。しばらく待ち、パスワードを入力する。ログイン後の常駐ソフトの起動を待っていると、廊下からドラを打ち鳴らすような笑い声が聞こえてきた。

「ガンさん、来たようね」

 隣に座る服部が、手裏剣を放つように小気味よく声をかけてくる。

 枝折は、出社初日のことを思い出す。配属先は電子書籍編集部。そう聞かされ呆然としていた枝折の前に立った、アメフト選手かプロレスラーにしか見えない筋肉質の男。

 これから働く職場の編集長。本名は岩田薫。社内ではガンさんと呼ぶ者が多い。いかつく角張っていて、岩石でできていそうな風貌。その人物が、部屋の入り口から、どかどかと入ってきた。

「おはようございます。岩田さん」

 枝折は立ち上がって挨拶する。

「おうっ、春日。おまえ、声がでかいな」

「はい、岩田さんも」

 岩田は、周囲の空気を揺るがしながら笑う。

「声が大きい奴は武将に向いているそうだ。多くの人に、自分の言葉を届けられるからな。仕事をする上でも、きっと役に立つぞ」

 ものすごく大雑把な論を言う。自分が斧鉞なら、岩田は削岩機かショベルカーだ。岩を砕き、地を穿ち、道なき道を進んでいく。

 出版業界は、人対人の属人的な仕事をしている。岩田のように誰とでも大声で語り合える人間は、きっと向いているのだろう。

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#電書ハック

柳井政和

小説が好きで出版社に就職した春日枝折だったが、配属されたのは電子書籍編集部。 紙の本から戦力外通告を受けた老作家、ネット民には刺さる準引きこもり作家、紙の本には目もくれないデジタル電子書店員たちとの出会いに戸惑う枝折。 やがて作家たち...もっと読む

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ruten 新連載「#電書ハック」2話目公開。念願の出版社に就職するも、配属先は電子書籍編集部!? 紙/電子の本の変化、電子書籍/ネット小説などを、編集者/作家側視点で描く小説です。最新話→ https://t.co/r9CxXeQbRa 連… https://t.co/4mgsSnqi1v 5ヶ月前 replyretweetfavorite