今でこそ腰を悪くしてしおらしくなってしまったが、昔のバアちゃんは『肝っ玉母さん』という言葉を具現化したような人だった。
いや、肝っ玉母さんっていうか『屈強』という感じだったかもしれない。
本人いわく『この世に怖いものはミミズしか無い』とのことで、オバケにもチンピラにも堂々と立ち向かう人だった。
なんでゴキブリは素手で握りつぶせるのにミミズは怖いのかよくわからなかったが、少なくとも僕はバアちゃんが何かに怖気づいているのを見たことが無い。
年老いてからもなかなか屈強だったバアちゃんだが、母によると若い頃はもっと無茶苦茶に恐ろしい人だったらしい。
そんなバアちゃんの屈強エピソードとして母がよく語るのが『除霊事件』である。
事件が起こったのはまだ母が中学生だった頃…つまりバアちゃんがどんな物事でも腕力で片付けようとしていた頃の話だ。
当時中学生だった母は、二段ベッドの上の段で寝ていたという。
いつも通り床に就いた母だったが、真夜中に妙な声で目を覚ましたそうだ。
声は下のベッドから聞こえてきたので、下で寝ている妹(僕の叔母)が深夜まで起きてマンガでも読んでいると思ったらしい。
妹を注意しようと思い、ベッドの下の段を覗いた母は衝撃で声が出なかった。
妹はベッドに座ってこちらを向いており、白目をむいた状態で笑っていたというのだ。
あまりの怖さに『ふざけないで!』と注意するが、妹の様子は明らかにおかしい。
演技というには迫力がありすぎるし、いつも真面目な妹がこんなイタズラを仕掛けてくるとも思えない。
そうして固まっていると、妹は『おいで…おいで…』と言いながら手招きまで始めてしまった。
ここで母は、とうとう『コレ完全に憑りつかれとる』と確信したらしい。
しかしどう対処すべきか分からなかった母は、決死の覚悟でベッドから飛び降り、隣の部屋で寝ていたバアちゃんを起こしに行った。
バアちゃんに霊能力なんて大層なものはない。しかし『何も怖い物は無い(※但しミミズを除く)』と公言しているバアちゃんなら、冷静に対処してくれるはずだと考えたそうだ。
母はバアちゃんを起こし、ことの経緯を説明した。
するとバアちゃんは、こんなことを言った。
『あぁ…あの子、今日学校の行事で戦争の慰霊に行ってたんだよ…それでじゃない?』
それでじゃない?と言われても困る。
原因を究明して満足とばかりに寝ようとするバアちゃんを、母は必至に引き留めた。母は別に原因を教えてほしかったわけじゃない。何とかしてほしかったのだ。
妹が心配…という建前はともかく、何ともならなかった場合、母はまたあの部屋で寝るハメになるのだから。明らかに地獄へ誘おうとしてくる霊のいる部屋で。
母の必死の説得で、とうとうバアちゃんは重い腰を上げた。
そしてのしのしと台所に行くと、塩(1㎏)の袋を抱えて霊の待つ部屋に歩き出した。
本当に塩で除霊できるのかどうかは解らなかったが、たしかにどこのご家庭にもある物の中では塩が一番除霊効果を期待できそうではある。
ベッドには、まだ笑い続ける妹がいた。
バアちゃんはというと、怯える様子もなく、妹を心配するでもなく、淡々と『あぁ~、はいはい、やられちゃってんね』とシロアリ退治業者のオッサンみたいな感想を言い放ったそうだ。ゴーストバスターズでももうちょいリアクション取りそうなものである。
そしてついに除霊は始まった。
もう一度言うがバアちゃんに霊能力なんてものはない。
そんなバアちゃんが除霊のためにできることはたったひとつだった。
オォイ!!!
その野太い掛け声と共に、バアちゃんは妹の体に塩を投げた。
母によると、それは『塩を撒く』なんて可愛らしいものではなかったそうだ。ソフトボール1個分くらいの塩の塊を、フルスイングで妹にぶん投げていくピッチャースタイル。それがバアちゃんの除霊方法だった。
母は思った。
『これ除霊成功する前に妹が負傷するんじゃないか』と。しかしバアちゃんは決して塩を投げることをやめない。もちろん妹も白目で笑うことをやめない。
母は最終的に、どっちが怖いんだかわからなくなってきたという。
なおもバアちゃんの除霊は続く。
塩をぶつけながら『コラァ!!』『出ろテメェ!!』『聞いてんのか!オォイ!!』と罵詈雑言を浴びせていく。
霊のメンタルを傷つけていくという画期的な除霊方法は、ついでに母のメンタルをも傷つけていく諸刃の剣だった。
『他の方法がいいんじゃない?』と母が提言したその時だった。
今までケタケタ笑っていた妹の声がやんだ。
同時に、妹はスッと目を閉じた。
よかった。霊が消えたんだ。
母がホッとしたそのときだった。
バアちゃんは次の投球フォームに入っていた。
投げる投げる。まだまだ塩を投げる。
母の制止も聞かず、塩は妹に次々とクリティカルヒットしていく。
後日バアちゃんにこの件について聞いたところ、
『塩がまだ残ってたから投げた』という答えが返ってきた。バアちゃんは最初から、1㎏の塩を使い切るつもりでいたのだ。何故かは知らない。
塩がもう無くなろうかという頃、バアちゃんのソルトボールが直撃した妹が声を上げた。
『痛ッ!』
久しぶりに普通のリアクションを取った妹に、母は心底ホッとしたらしい。
霊がいなくなったことに、妹が正気に戻ったことに、そして何より妖怪塩かけ婆の猛攻が止まることに。
妹が正気に戻ったことを確かめると、バアちゃんは『バカかお前は!変なもん連れて帰ってくるな!次からは自分で追い出せ!』という無茶な説教をして寝床に戻っていった。
その後、母はどうせ怖くて眠れないので、電気をつけて朝まで塩まみれの部屋を掃除していたらしい。
この一件は叔母(母の妹)もよく覚えているという。
憑りつかれたときのことは一切覚えていないが、目を覚ました瞬間の光景は今でも脳裏に焼き付いていると言っていた。
叔母はハッキリと『霊は知らんけどバアさまが怖かったよ』と感想を述べている。
本人としてはいつも通りスヤスヤ寝ていただけなのに、目を覚ましたら修羅の表情で塩を投げてくる自分の母親の姿がそこにあったら…
確かにそっちの方が、憑りつかれた人を傍から見てるよりよっぽど怖いのかもしれない。
次回「バアちゃんが『イモ洗いに行く』と言い張った話」は10/2公開予定。お楽しみに!
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