水かけ論も誤解魔さんの得意なこと
他に典型的な「誤解魔さん」としては、いわゆる「言った/言わない」の水かけ論をふっかける癖のある人が、思い当たります。
例を挙げてみると、「こんど、もっともっと気持ち的な余裕ができた頃に、一緒に外国旅行にでも行こうか」とでも言ったとします。
それは具体的な提案ではない「つもり」でばくぜんと言っただけかもしれません。ところがある日、相手からこう言われたら、どう感じるでしょう。−−−−−−「前に、外国に連れてってくれるって約束したのに、いつまでたっても連れてってくれないね。忘れたの?」
そこで、「あのときは、『余裕ができたら行くのもいいね』と言っただけで、約束したわけじゃないでしょ」と言い返したりしようものなら、言った、言わない、の不毛な言い合いが始まることは、目に見えています。
この場合、「約束したでしょ!」というのは誤解なのですが、とは言え「それはおかしい」と指摘しても、相手の自分勝手な記憶を書き換えることは不可能なので、水かけ論に突入するのは、ぜひとも避けていただきたいものです。
まずは例によって、なぜそのような誤解や記憶の歪みが生じるのかを、俯観してみる余裕を保ちましょう。なぜ、そんな誤解ないし聞き違えが生じるのかと。
心の中に欠落感があればあるほど、他の人が「自分にこれをしてくれるといいな」という欲求が強烈になります。
そうした欲求の衝動をベースに他人の話を聞いていると、人が自分に何か得になることをしてくれそうな話題に対して過大なビビビッという刺激が生まれるでしょう。ですから、その部分だけ頭の中で過大に拡大されて、自分の都合の良いように勝手に書き換わってしまうのです。
その場合、相手の話を途中までしか聞かずに、「あっ!!!良さそうな話だ」と飛びついて、頭の中で残りの部分をバラ色に言わばオートコンプリートしてしまうのでしょう。
反対に、さきほどの夫婦の擦れ違いの例や、書類のやりとりの事例では、非難されていないのに、途中までしか聞かずに、「非難された!」と誤解していますよね。
これは非難のオートコンプリート機能とでも申しましょうか。これまで悪事を働いてきたので無意識レベルで罪悪感があるとか、自分が人から非難されないかビクビクしすぎているとか、そういう条件下で、他人の話が何もかも、非難に聞こえてしまうのです。
結果として、こうした誤解魔さんは非難されていないのに「非難された!」と傷つき、ちょっと注意されると「人格を全否定された!」と怒ってしまうこととなりがちなものですね。
誤解魔さん対策をまとめると・・・
これで、「誤解魔さん」への対策が分かってきたのではないでしょうか。
ひとつには、この種の人に対しては、あいまいな物言いや、ばくぜんと期待を持たせるようなことは、決して言わないこと。
ふたつには、誤解魔さんを相手にするときは、短文で会話するよう心がけること。「Aとも言えなくはないが、Bという側面もあるから、Cである」なんて言おうものなら、「なにぃ、Aだなんて、私をバカにしてるのか!」となりかねないのです。
ですから、AとかBとか細かいことを言うのは諦めて、端的に、「Cですねぇ」と言うに限ります。お願いをするときや約束するときも、回りくどく言わずに、短い言葉で簡潔に伝えると、オートコンプリートによって曲解される可能性を減らすことができるでしょう。
たぶんそうした工夫をしても、誤解する人は、誤解します。ですから、ベストを尽くしたうえで、あとは諦めるのが一番です。「それは誤解です」と指摘しても怒らせるだけで、不毛だからです。
諦めるために役立つのは、相手をよく理解することです。つまり相手が「欠落して飢えているので都合よく曲解してしまうのだなあ」とか、「非難されることをビクビクして自意識過剰なので、非難してないのに非難されたとオートコンプリートしてしまうのだなあ」と、分かってあげましょう。
そうしたら、余裕ができます。その余裕をもって、(相手の無茶な主張を受け入れる必要はありませんが)「そういう側面もあったかもね、配慮が足りなくてごめんね」などと折れてあげられれば、それが相手をいくらか癒やす力持つことでしょう。
「それは誤解だ」の切り返しがお城をどんどん荒らす
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