「人の気持ちが分かる」の本質
私の知人に、「あなたは人の気持ちの分からない人だ」と他人に言うのが、口癖になっているかたがおられます。
そのような非難を浴びせられるとたいていの人はひどく傷つくのですが、皮肉なことに、言っている人は傷つけていることの自覚が乏しいからこそ言えるわけでして、つまりまさに、「人の気持ちが分からない」のです。
いやはや、「自分のことをちゃんと理解して欲しい」という欲が強すぎると、他人からの理解がほんのちょっとズレていると感じるだけで、「そうじゃなくて」とか「あなたは分かっていない」などと言ってしまうことでしょう。
これは、「あなたは誤解している」と言っているのですが、二つのニュアンスを含みます。一つは、愚かであるという指摘と、もう一つは、人の気持ちを察する思いやりが足りないという「道徳的な」非難です。
たとえば、こんなシーンを想像してみましょう。奥さんが、仕事で失敗をやらかした夫に、ふとした配慮の言葉をかけたとします。
「あなたって、ついカッとなって怒る癖があるから、職場でもトラブルがあったみたいで心配だわ。私がふだんからもう少しあなたに優しくしてあげられたら、きっともっと楽にしてあげられたのに、ごめんね」なんて。
「ああ、温かい言葉をかけてもらえて有難いなあ」と思えればいいのですが、相手の話をきちんと聞けない人は、こんな反応をしてしまうものです。−−−−「いやいや、ついカッとなったんじゃないんだって!仕事相手があまりにも失礼な態度だったから、ちゃんと言ってやらなきゃいけないと思っただけなのに、カッとなったなんて言われたら困るな。あーあ、誰も、俺のことを分かってくれないなんて悲しいな‥‥」
と、少々、大げさに書いてしまいましたが、こんな塩梅です。
お分かりのように、「分かってくれない」のはこの場合、周りの人や妻ではなく、「自分がカッとしたかどうか」という、細かな部分が正しいか正しくないかに執着して、妻の思いやりを自分への非難ととらえてしまう、まさに夫のほうに他なりませんね。
誤解魔さんは、誤解されるのを恐れている人
世の中を眺めていると、悲しいかな、こんな具合に相手の話を最後までちゃんと聞かずに、意図を誤解して怒ったり悲しんだりする、という擦れ違いが、山ほど発生しているように見えます。
そして、ここまで挙げてきたように、他人に対して「誤解だよ」とか「分かってない」と言いがちな人ほど、「誤解しているかどうか」の基準がやたらと厳しく細かいため、すぐに「誤解された!」と細部が気になって全体の意図を汲み取ろうとしません。ですから、細部のチェックに夢中になるあまり、相手が全体としてどういう気持ちで言っていたり行動したりしているかを、受けとめる能力が低くなります。
結果として、まさに「誤解されるのを恐れている人」が、もっとも他人のことを誤解しやすいように思われます。というのは、これまで生きてきた中で、経験的に感じてきたことです。
ですからひとまず、「他人が自分の意図や言いたいことを完璧に理解しているかどうか」なんてことは放っておいて、相手が何を言おうとしているのか、最後までじっくりと聞き取れるようにしたいものですね。
「先読み」こそがすれ違いの始まり
さて、ここまでは「誤解された」のを気にする人が実は最大の誤解魔さんであるという、少々ひねった話をしてまいりましたが、ここからはもう少し一般的な「誤解魔さん」の生態を探ってまいりましょう。