青い芝」の戦い

脳性マヒ者団体「青い芝の会」が主張した、障害者の自己

「青い芝の会」とは、脳性マヒ者による障害者運動団体です。同団体は1970〜80年代に、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われるような運動をおこない、「強烈な自己主張」を行ってきました。学生時代に彼ら/彼女らに出会い、ともに過ごした荒井裕樹さんと九龍ジョーさんお二人の視点を通し、この運動が社会の何を変えていったのかを振り返るとともに、その思想に触れていきます。


左:荒井裕樹さん 右:九龍ジョーさん

「青い芝の会」とはなにか?

— 「保育園落ちた日本死ね」と保育園の現状を訴えれば「言葉づかいが悪い」と言われ、国会議員のLGBTへの差別発言に対してデモをすると「デモは意味がない」と冷笑される。不満を口にしたらバッシングされてしまう状況が、SNSによって可視化されています。そんな中、「強烈な自己主張を行う」と宣言した「青い芝の会」の活動を見直したいと思いました。

「青い芝の会」はバスジャックや座り込みなど、70〜80年代に“過激”とも言われるような障害者運動をおこなっていた団体です。彼ら/彼女らが激しい運動をしていたころから20年以上たち、当時学生だった荒井裕樹さんと九龍ジョーさんはそれぞれのきっかけで「青い芝の会」に出会い、その歴史と思想に触れていきます。この対談では、お二人の視点を通して「青い芝の会」について知りたいなと思うのですが、まずどのような団体だったのかについて、簡単に解説をしていただけないでしょうか。

荒井裕樹(以下、荒井) 簡単に言うと、「青い芝の会」というのは、脳性マヒ(CP:Cerebral Palsy)者による運動団体です。

脳が何らかの原因で損傷を受けて、その後遺症として、身体や言語の機能に障害が生じるのが脳性マヒです。障害の程度は個人差が大きくて、寝たきりの人もいれば、歩くときに足を引きずるくらいの人もいます。 発語が難しくてコミュニケーションに時間のかかる人もいれば、スラスラとしゃべれる人もいます。自分で自分の身体をコントロールしにくい「不随意運動(アテトーゼ)」を伴う人もいますね。

「青い芝の会」って、もともと養護学校の同窓会みたいな団体だったんですけど、1970年頃に変わっていきます。

きっかけは、ひとつの「脳性マヒ児殺害事件」でした。脳性マヒのある子どもの育児・介護に疲れた母親が、我が子に手をかけてしまった。この事件後、周辺住民が「母親が可哀想だから減刑してあげてほしい」と署名活動を行ったのですが、「青い芝の会」はその減刑嘆願に抗議しました。つまり「障害児を殺した親が減刑されたら、障害者には生存権がないということになる。それは許せない」ということです。

特に「青い芝の会 神奈川県連合会」は、激しい抗議活動をしたことで知られています。その後も、県立病院での出生前診断に反対したり、「養護学校義務化」に反対して文部省(当時)に押しかけたりと、強硬な運動を展開しました。

九龍ジョー(以下、九龍) 有名なのが1977年の「川崎バス闘争」と呼ばれているバスジャック。車いすの乗車拒否を繰り返していた路線バスに抗議して、バスの前に座り込んだり、消火液をぶちまけたりして、28時間にわたってバスを占拠したとか。その他、座り込みをしたり、路上カンパをしたり。「過激」といわれる活動を展開していったんですよね。

荒井 「青い芝の会」には有名な「行動綱領」があります。これを読んでいただくと、会の雰囲気をなんとなくわかっていただけるのではないでしょうか。

われらかく行動する
一、われらは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する
一、われらは、強烈な自己主張を行なう
一、われらは、愛と正義を否定する
一、われらは、問題解決の路を選ばない

ぼくの著書『差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会の行動綱領』(現代書館)は、横田弘という人間がこの行動綱領をどのようにつくったのかについて、ご本人・ご関係者への聞き取りをもとに書いた本です。詳細が気になった人はぜひ手に取ってみてください。


差別されてる自覚はあるか: 横田弘と青い芝の会「行動綱領」

この「青い芝の会」が、1970年代の障害者運動をけん引していました。そしてそこから30年ほどの時間が経ち、「青い芝の会」と、その中心メンバーだった横田弘という人物に、ぼくと九龍さんは学生として出会ったわけですね。

便所飯の最中に、トイレのドアを叩かれて

— 「障害者運動」と聞くと、あまり耳慣れなくハードルが高いな……と思うのですが、お二人が「青い芝の会」に関わられたきっかけを知りたいです。特に九龍さんが関わってらしたと聞いて、意外だったんですが。

九龍 そんなにかっこいい話じゃないんですよ……。ぼくは中学・高校と男子校に通っていて、女性とは母親以外、6年間ほとんどしゃべったことがなかったんですね。

1995年に横浜市立大に入学して、新入生の飲み会ではじめて同世代の女の子たちと話をする機会ができたんです。お酒の力もあって、その場ではいい感じに仲良くなったりするわけですよ。なのに翌日、教室でその子たちが「おはよう~」ってぼくにあいさつしてくれたのに、そういうことに慣れてなくて、どうしていいかわからなすぎるあまり……なんと、無視してしまったんです(苦笑)。それで完全にクラス内で浮いてしまって。そこからは、今で言ういわゆる「便所飯」の走りで、休み時間は基本的に多目的トイレにいるという学生生活に突入して……。

荒井 ああ……。

九龍 そんなことが1年近くあって、ある日いつものように多目的トイレで本を読んでいたら、ドアをガンガン叩かれて。ビクビクしながらドアを開けたら、そこに車いすに乗った男の人がいたんです。なにか言ってるんだけど、言葉もよく聞き取れない。そのときはわからなかったんですけど、脳性マヒで言語障害があるんですね。で、かろうじて「トイレを手伝ってくれないか」ということだけはわかったので、出会い頭に小便を手伝って。

尿瓶に溜まった尿を便器に捨てたら、今度は、車いすの背にかばんがあるから、そこから紙を取ってくれと言われて。それが青い芝の会が運営している「きょうの会」というグループホームの介助募集のチラシだったんです。それで、大学に友達もいないし、毎日ヒマだったので、気づいたらそこで介助のボランティアをするようになって。

荒井 すごい出会いですね。

九龍 その男性はIさんといって、10歳ほど年上で、大学には社会福祉を学びに来ていたんですけど、彼が大学ではじめてできた友達ですね。それから、介助ボランティアというよりは、泊まりにいくと、日当ももらえるし、ご飯も食べられる。お風呂もシャワーも一緒に入れるし、なにより入居者の人たちと話すのが楽しいんですよ。みんな男性で、夜中、酒を飲んだりして。首から上しか自由の利かない脳性マヒのKさんというおじいちゃんもウィスキーの水割りをストローでちゅーちゅー吸っていました。で、そのKさんが人生の達人みたいな感じなので、同世代のボランティアのやつが恋愛相談とか聞いてもらうんだけど、あとで内容を全部、周りの人にしゃべられちゃったり(笑)。

荒井 青春の一コマ、という感じですね。

九龍 だからぼくは、青い芝の会がどんなものか全然知らずに関わるようになったんです。

荒井 活動の内容もまったく知らなかったんですか?

九龍 はい。基本的にあとからです。「きょうの会」の代表が「青い芝の会」の中心人物である横田弘さんなわけです。で、うっすらと「なんかすごかったらしいぞ」とは聞いていましたが、まさか過去にバスジャックしているほどとはおもっていなかった……(笑)。

荒井 九龍さん以外で、そのグループホームに来ていた学生さんは、福祉関係に関心を持っていた人たちだったんでしょうか。

九龍 いえ、特に福祉関係が多いわけでもなく、ぼくも専攻は経済学でしたし。いろんな人がいましたね。パンクスの介助者もいて、彼のライブをホームの入居者と見にいくために車いすを押していったこともあります。モッシュの中に車いすで入っていって、みんなでゲラゲラ笑っていました。めちゃくちゃ楽しかったですね。あまり大きな声で言えないけど、風俗に押していったこともあったなあ。店が神対応で、入り口の前で迎えてくれて、あとの介助はすべて店員がやってくれるんですよ。

日本の差別問題を知るために、外をみてこい

— 日本の近代文学を専攻されていた荒井さんは、どのように青い芝の会と出会ったのでしょうか。

荒井 ぼくもドラマティックな出会いを期待されるんですけれども、全然そんなことないんです。

大学院に行ってみたものの、馴染めなくて、居場所がなかったんです。たまたま授業の課題で北條民雄(※)を調べるうちに、彼が生活していたハンセン病療養所に通うようになったんです。そこで、小さな図書館を切り盛りしているおじいさんと仲良くなり、本の整理なんかを手伝うようになりました。大学院にいかずに、そこばかり通っていて。

※北條民雄:昭和期に活躍した小説家。本名「七條晃司」。1914年、「京城」(現在のソウル)生まれ。徳島県阿南市に育つ。若くしてハンセン病を発症し、「第一区府県立全生病院」(現在の国立療養所多磨全生園:東京都東村山市)に入所。病院内で創作に励み、作品が川端康成に注目される。自身の入院体験を描いた「いのちの初夜」(1936年)は、当時大変な話題になった。1937年、腸結核により病没。

そうしたら、そのおじいさんが、「ハンセン病のことばかり勉強していても日本の差別問題はわからない。ちょっと外をみてこい」と言ったんです。それで、当時出た「障害学」の本を読んでいたら、花田春兆(はなだ・しゅんちょう)という名前がよく出てくる。花田さんは障害者運動業界の「長老」みたいな方で、脳性マヒ者です。

それで花田さんに「お話を聞かせてください」と手紙を書きました。そうしたらすぐに「語り伝えたいことがあるから、ぜひ来てください」とメールがきた。それで会いにいったんです。

九龍 実際にお会いして、どんな印象でしたか?

荒井 最初に見たときは、正直びっくりしました。予想以上に障害が重くて。本を何冊も出版されているのに、ブルブル震える指一本で、コチコチとパソコンを打っている。ぼくが読んだあれらの本は、本当にこの人が書いたのか? というのが率直な印象でした。

そこで少しお話しましたが、花田さんには言語障害があるので、聞き取るのに時間がかかりました。なんとなくギクシャクしたまま最初の対面を終えて、花田さんの方もなんとなくギクシャクしていて……。

数年後にわかったんですが、ぼくは名前が「裕樹」なんで、メールアドレスにyukiと書いていた……実はユキちゃんという女の子が来るんだとおもっていたら、男が来たからびっくりしたんだと。

九龍 おまえは誰なんだ、と(笑)。

荒井 あとから聞いて謎が解けましたよ。そのあと、花田さんに気に入ってもらえたようで、「私設秘書」のような使い走りを4年半ぐらいやりました。そこから、障害と文学をテーマに研究することになっていったんです。

構成:山本ぽてと

<次回「本当に障害者は自分の人生に関係ないと言えるか」は、9月29日(土)更新予定>

この連載について

青い芝」の戦い

荒井裕樹 /九龍ジョー

「青い芝の会」。それは、脳性マヒ者による障害者運動団体です。青い芝の会は1970〜80年代に、バスジャックや座り込みなど、“過激”とも言われるような運動をおこない、「強烈な自己主張」を行ってきました。学生時代に彼ら/彼女らに出会い、と...もっと読む

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gcyn #ss954 主体性の話、「よかれ」と思って否定された気分になる話、そうじゃなかった人が介助されつつ強い感じになる話、こちらの記事と共通の(つまり普遍的なんだろう)お話があるですね…。 https://t.co/InARuZWOrF 7日前 replyretweetfavorite

tomoe6453 最近よく帆足と話すこと 本を読むときのテーマにしてること 差別と尊厳について。 ずっとかんがえてる。 https://t.co/fY9i6p9Epo 2ヶ月前 replyretweetfavorite

kehiihii あ、九龍ジョーさんは大学の先輩だったのか。 それはそうといい記事です。続きが楽しみ。 https://t.co/cWAF0qnLFc 2ヶ月前 replyretweetfavorite

tomoume https://t.co/tNPlycwz0p 2ヶ月前 replyretweetfavorite