休んでいる間に、会社が倒産しかけていた

人材派遣会社の営業マンとして働きながら、国民的アイドルグループの作詞もしている楢崎淳也(ならざき じゅんや)。二足のわらじ生活で衰弱した彼を救ったのは、不可思議な宝石店主・蟹江との出会いだった。ついに再起に向けて歩みだした淳也は、作詞事務所と派遣会社を辞めるべく東京に帰る。ところが、待っていたのはーー。(毎週月曜日更新)

illust:ひうらさとる

 翌朝、箱根は晴れ渡っていた。ちょうど六時。家中がひっそり静まり返っている。置き手紙をリビングのテーブルにおいて、そのまま外へ出た。

 草の匂いがする空気は、肺の奥まで入り込む。赤いミニクーパーの隣にパテーによって磨かれた徹カーがあった。ドアに手をかける。

「朝逃げかい」
ピンク色のランニングウェアに身を包んだ蟹江がいた。
「お世話になりました。僕、戻ります」

「また急にどうしたんだい。しかもこんな時間に。何があったかわからないけど。淳也ちゃんが決めたことなんだね。『心配するなら信じて』って歌詞にもあったし。信じようかね」

 蟹江は「無鉄砲、無鉄砲」とそこだけを思いっきり歌った。潔いほどに音程が外れていて、言葉しか合っていないけれど、これ以上はない応援歌だ。

 エンジンをかけて窓を開けると、蟹江は車の中に上半身を入れて僕の頭をむぎゅっと抱えた。山道を戻りながら、その時に言われたことを思い起こす。

「一年後の淳也ちゃんにメッセージ。何かに縋らないと生きていけない人もいるから、正義で裁かないようにしてあげて。自分が強くなると、かつて弱まって苦しんでいた自分のことすら忘れちゃうんだ」

 蟹江が段取りをしたタイ旅行の出発は三週間後だ。それまでに片づけることがたくさんあった。

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夜明けのポップス

藤瀬聖子

主人公の楢崎淳也(ならざきじゅんや)は、人材派遣会社で営業として働きながら、人気アイドルグループの作詞も手がける作詞家。しかし二足のわらじ生活は、彼の心身を徐々に蝕んでゆく。そんなおり、訪れた箱根の山中で不思議な女性に出会い……。嵐、...もっと読む

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