やらない言い訳なら、いくらでも挙げられる

人材派遣会社の営業マンとして働きながら、国民的アイドルグループの作詞もしている楢崎淳也(ならざき じゅんや)。二足のわらじ生活で心身ともに衰弱していたところ行き着いたのは、不可思議な宝石店の店主・蟹江の家だった。蟹江と過ごすうち、淳也は自分の中にあった好奇心や意欲に気づいていく。(毎週月曜日更新)

illust:ひうらさとる

 サーフボードが三列にずらっと並んでいるショップの前に到着した。

「蟹江ちゃん、いらっしゃい」

 真っ黒に日焼けしたスキンヘッドの隊長が出迎える。隊長にウェットスーツを渡され、着替えてくるように言われた。裏手の小屋でひとり苦戦する。こんなに窮屈な服は着たことがない。外にでると蟹江はマゼンタピンクのウェットを着ていた。色が色だけに特注らしい。パテーはオレンジ色のウェットがよく似合っている。

「ビーチまで五分かからないから、自転車に乗って」

 思い起こせば、僕は自転車に乗ったことがほとんどなかった。子供の頃、公園に乗り捨てられた自転車を見つけた時に、一人で練習したことがある程度だ。ヨタヨタしながら、蟹江、パテーの後に続いた。

 先頭の隊長は四人分のボードを大きなタイヤがついたランチャーに載せ、それを片手で引っ張りながら走っている。僕はこの中で自分が一番体力のないことを知った。

 全員でビーチに自転車を停める。サビだらけの自転車がキラリと光った。足の裏が熱くてヤケドしそうだ。痛くて小走りで水辺に走る。波打ち際の石ころがさらに痛みを誘った。

 蟹江の号令で準備運動が始まる。身体を上にのけぞらせたかと思うと両手をブラブラさせて下ろし、すぐに後ろを向いてまた同じことを繰り返した。何の動きか蟹江に訊いたら、公民館で習っているアフリカンダンスを取り入れた蟹江オリジナルだという。

 隊長の指導のもと、ボードに命綱のリーシュコードをつけてから、コードの先を右足に繋げた。大きくて重たいボードを隊長と一緒に運んで海に入り、ボードの先頭を波に直角に向けて、手で押さえながら沖に向かって進む。蟹江とパテーを見ると、あんなに重たいボードをわきに抱えてひょいと入水していた。

「蟹江ちゃんはベテランだからね」と隊長が顔全体で笑った。それが聞こえたのか、蟹江は右手で親指と小指を立てるポーズをつくって、ボードの上に飛び乗る。正座をして前を見据えてから数回漕いで、即座に立ち上がった。パドルを両手でしっかり掴み、力強く漕ぎ始める。あの痩せぎすな身体のどこに大海原へと踏みだす力を隠し持っているのだろう。

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夜明けのポップス

藤瀬聖子

主人公の楢崎淳也(ならざきじゅんや)は、人材派遣会社で営業として働きながら、人気アイドルグループの作詞も手がける作詞家。しかし二足のわらじ生活は、彼の心身を徐々に蝕んでゆく。そんなおり、訪れた箱根の山中で不思議な女性に出会い……。嵐、...もっと読む

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