illust:ひうらさとる
爆音で目が覚めた。蟹江が風船を五個携えて部屋に入ってきて、僕の頭上でひとつ割ったらしい。ご丁寧に「ウ・エ・ル・カ・ム」と書いてある。「エ」の風船が粉々になっていた。
「何日寝てるんだい、よそんちで。いい加減、食べ物をお腹にいれないとまずいよ、淳也ちゃん」
僕はどれくらい眠っていたのだろうか。
もぞもぞと起きだし、蟹江が戻っていく後ろに続いた。リビングには細長いテーブルが置いてある。点在しているイスのひとつに腰掛けた。三人にはもったいないほどのスペースだ。パテーが炭酸水をいれてくれる。
「さあ、たくさん寝た後は、身体に優しいものを摂りなさい。パテーお手製の全粒粉パンよ。外の石窯で焼いたの。豆乳ヨーグルトも炭酸水もメイド・バイ・パテー。炭酸水には、パテーが庭のザクロから作った酵素が入っているわ」
いつも起きると胃が重く、まだ薬が固形で残っているのではないかと思うほどだった。今日はいつになく軽い。頭も心も体も軽い。大人になってからこんなに軽い日はあっただろうか。
「蟹江ハウスがホスピタルだったら、淳也ちゃんは即入院よ。こんなに疲れている生き物は初めてだわ。疲れ過ぎていると魔が差してしまうこともある。これまで頑張ってきた分、ここでゆっくり休ませなさいな。自分自身を」
パテーの天然酵母パンをおかわりした。口に入れただけで目が覚めるようなパンチの利いた食パンは初めてだ。一片かじっただけで、パンにエネルギーが宿っているのを感じる。
庭で採れた野菜でつくったというサラダをボール一杯分はたいらげた。食欲自体を思い出す。これまでずっと何かをやりながら、とりあえず口に食べ物を放り込むということをしていたようだ。蟹江ハウスでは噛んで食べるほどに食物の味が口の中に広がる感覚を味わえた。
窓から見える景色は木々の緑と空の青がくっきりとふちどられている。自然と手が伸びて窓を開けた。隙間をこじあけて入ってきた風が生温かくて、なんて気持ちいいのだろうと惚ける。
パテーがフルーツを皿いっぱいに盛ってやってきた。マンゴーがひっくり返った皮にでこぼこ生えているような切り方は、さすが南国出身だと感心する。
いつのまにか蟹江は席を立っていた。伏し目がちに笑うパテーに話しかける。
「タイはどこの出身なの」
「チェンマイです。市内からバスで二時間ほど離れたところに家があります。猫がたくさんいるところです。象もいます」
真っ白い歯を見せて笑った。
「僕がいま歌詞を書いている女の子もタイ人とのハーフだし。どうやらタイには縁があるようだね」
「うれしいです」
パテーは恥ずかしそうに言う。はにかむという表情を久しぶりに見た。
「蟹江さんもタイが好きなんだね。部屋にポスターが貼ってあった。かなりのT‐POP好きみたいだけど」「あれは和歌子さんの部屋です」
「和歌子さん?」
「蟹江さんの娘さんです。もう亡くなりました」
話し過ぎたと思ったのか、パテーは急いでリビングから食器を抱えて出ていってしまった。
「食事は終わったかい。これから遊びに行くよ。寝て食べた後は遊びよ、遊び。今ハマっているSUP(サップ)に連れていってあげる」
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。