illust:ひうらさとる
そろそろ梅雨が明ける頃、季節の変わり目をじっくり味わう間もなく、CHE-MEEのシングル歌詞コンペが始まった。
シングルはAからCの三バージョンある。ひとつのシングルはカップリングを入れて三曲収録。すでにドラマ主題歌が入ることが決まっていて、それは奈美が書いた家族愛の歌詞だった。残り八曲をすべて書くと決め、二曲同時進行でつくり始める。
尾形さんは採用の確率を上げるために量産するのではなく、質にこだわりたいと言って二曲だけ書くことにしたらしい。
とりたてて才能があるわけではないから、僕は見てもらう回数を増やすために全曲に挑む。
人材派遣営業はこれ以上休めなかった。ただでさえも出勤日数が少ないため、会社では居心地が悪くなってきている。
空気を無視できるほど図太くはなれなかった。ほとんど寝ずに締切までの一週間を走り抜ける。同じフレーズを他の曲で使っていないか何度も確認しながら、なんとか八曲を仕上げた。
締切の翌朝。新宿で外回り営業をしていたら、道路が歪みだした。地面が近づいてきて、しゃがみ込んでしまう。デパートから出てきた白髪の女性が「大丈夫ですか」と声をかけてきた。
ただただ頭を下げて、足をひきずりながら、甲州街道に出る。タクシーを拾って、「具合が悪いので病院まで連れていって欲しい」と伝えると、近くに総合病院があるという。運転手が「普通に行ったら待たされるから、電話をして行ったほうがいい」と電話番号を調べている。
そのおかげで病院に着くとすぐに、医師の診察を受けることができた。採血後、点滴をすることになり、二時間以上のあいだ簡易ベッドでただ天井を見つめながら、じっとしていた。
作詞で体を酷使していたことに改めて気づく。こんなに生き急いでどこへ行くのだろう。自分でもわからない。その間に血液検査の結果が出ており、特に異状はなかった。点滴が効いたようで、会計を済ませ、埼玉に帰ろうと駅まで歩きだす。
人材派遣会社の社長に電話をしたら、「ゆっくり休んで下さい」と言われた。最近はとくに経営が厳しくなっていたので、休んだほうが良かったのかもしれない。
この会社では社員全員の給与を一割ほどカットし始めていた。特別待遇の淳也の給与は据え置きとなっている。
経理の担当者が「楢崎さんだけが減額されないのはおかしい」と社長に直談判し、風当りはさらに強くなっていた。社長に恐縮しながら、電話を切る。
尾形さんが言っていたことを思い出した。「歌詞の締切ラッシュが終わった後は休んだほうがいい」と。
かつて事務所に所属していた尾形さんの先輩も二束のわらじを履いていたが、二週間近く寝ないで作詞をし続けたら甲状腺の数値がおかしくなり、そのまま入院してうつ病になってしまったという。
「自分で休みつつやっていかないと、人間翻訳機の俺らはぶっ壊れちまうのさ」と言いながら、尾形さんは僕の背中を軽くはたいた。
さすがに自分を休ませないといけないようだ。アパートに帰っても、心底、くつろげる場所はない。箱根なら休息に向いている。
母さんには作詞をしてくるとメッセージを入れ、僕は新宿駅からロマンスカーにゆっくりと乗り込んだ。シートに身を沈めるようにして日常のスイッチを切っていく。車内で夜勤明けの徹に車を貸してくれるように頼み、I駅でいつものように乗り換えた。
点滴が切れたのか、また具合が悪くなっている。途中、耳鳴りと吐き気に見舞われ、体調のせいか天候のせいか視界が狭くなるのを感じた。
山の方から霧がふわっと道路に降りてきて車ごと包みだす。道路の中央線がおぼろげにしか見えなくなり、不安にかられた。しょっちゅう運転をしているわけではないから、対向車が迫ってきたら、この霧の中で対処できる自信がない。一人でざわついていたら、ちょうど右前方にあの奇抜なミニクーパーが見えた。
西山蟹江 天然石研究所。
気がすすまないなどと言っている場合ではない。霧がおさまるまで、店で休ませてもらおう。仄かな明かりに誘われるまま、車を滑り込ませてゆく。中からは、何かを燃やす匂いがした。
「あら、お帰りなさい」
蟹江は白い乾燥した葉っぱのかたまりを振りまくっている。