illust:ひうらさとる
作詞家にはなるべくしてなったのかもしれない。アーティストではない僕のような職業作詞家に自己主張はいらない。エゴが入っていたら、プロデューサーに選んでもらえないからだ。歌い手が歌いやすいように気を配って、時代を読んで売れるであろう歌詞を書く。
職業作詞家には俯瞰する視点が必要だ。これまでずっと当事者にならないような生き方をしてきた僕には、元々、主張する自我もない。おかげで何の苦もなく自分を消せた。交渉など僕の人生には必要がない。これは未知香には言えなかったことだ。
一度、後輩の奈美が遠山と言い合いをしているのを見かけたことがある。毎月最終水曜に事務所で所属作詞家のミーティングがあるのだが、奈美は自分の歌詞が不採用の理由を食い下がって訊いていた。
「派遣の仕事を休んでコンペのために頑張って、そのあと何の音沙汰もなしって、とても失礼だと思います。なんで採用にならなかったのか先方に訊いてもらえませんか」
「一度のコンペで百以上もの応募があるんだ。いちいちフィードバックはもらえない。俺だって皆の不採用の理由なんてわからない。
うちの事務所で最高だと思って満場一致で推した歌詞が採用されず、バーターで出した無名の新人のものが使われたりするんだ。
あくまでも個人の意見として言わせてもらうが、奈美の歌詞は自分の体験から来ていると思われるものばかりだ。奈美の色なんてCHE-MEEの歌詞に入れる必要はない。むしろ邪魔だ。無色透明の歌詞をCHE-MEEに色づけしてもらうと思って書け。とにかく歌詞で作詞家自身の主張はするな」
奈美が下唇を噛んでいるのを横目でみながら、「この件で奈美が事務所に干されませんように」と祈ることしかできなかった。僕の体験なんて歌詞に入れることはできないだろうから、あくまでも俯瞰する立ち位置で歌詞を書き続けた。時に遠山に「神目線でえらそうに書くな」と注意をされながら。
当事者感を消しすぎないようにして、
夢の印税生活には遥か及ばなくても、もらえるだけでありがたいと思っていた。未知香からは「どこまでお人好しなの」と言われ続けているが。オリコン一位になってもこの程度だと、職業作詞家として食べていくのは至難の業だろう。
だから僕は、これまで通り、人材派遣会社の営業マンを辞めないことにしている。二足のわらじでいくしかない。結婚をしていない僕の扶養家族には、父さんと母さんがいる。稼ぎが不安定だと大人三人が食べていくことはできない。
コンサート中、いつものように頭の中で思いを巡らす旅に出ていたら、いつのまにか観客は総立ちになっていた。奈美が声を震わせている。
「淳也さんの『sister』…」
(ひとりきりの小さな君に 寄り添うことできない夜)
『sister』は未知香を頼らずに作った歌詞だ。先月リリースされたアルバムのリード曲となっている。CHE-MEEのメンバーも気に入っているらしく、パーソナリティを務めるラジオ番組では必ずかける一曲だという。
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