illust:ひうらさとる
地鳴りがするほどの歓声。前方のステージの眩しさに目がくらむ。十代後半から黒人音楽を聴いていた。長い間、偏った音楽の趣味を貫き通していたけれど、まさか三十代になってアイドルの作詞に関わることになるとは。一ミリも想定していなかった。
「それにしても、この音量。耳がおかしくなりそう」
「
遠山が顔を近づけて叫ぶ。
国民的アイドルグループ
淳也は所属している作家事務所の面々と横一列で座っていた。メンバーは、事務所の社長とマネジメント担当の遠山、そして後輩の奈美。敬愛してやまない先輩の尾形さんも一緒だ。
なかなか芽の出ない音楽活動を止めると、すぐに作詞家としてデビューすることができた。あれだけ願っていたメジャーデビューが作詞家とは、人生は何が起こるかわからない。そのデビューには、当時の音楽仲間だった徹が一役買ってくれた。
「淳也、CHE-MEEの楽曲コンペに出す曲を作るから、歌詞を書いてくれないか」
「女の子の歌詞なんて書いたことないけど。いいよ、やるよ」
結局、徹の曲は採用にはならなかったけれど、淳也にはコンペの窓口である作家事務所から声がかかった。
「CHE-MEEの作詞コンペに参加しませんか」
マネジメント部の遠山がいきなり夕方四時に電話をかけてきたのだ。
「今夜十時までに書けますか」
咄嗟に「書ける」と答えた。聴いたことのない曲を六時間で書く自信などなかったが、これを逃したら、もう二度とこんなチャンスは訪れないような気がした。
メールに添付された曲の作家は外国人だ。仮の歌詞には英語が乗っかっている。メロディの拾いにくさといったらなかったけれど、思いっきり簡単な日本語を連呼するようにして作り上げた。
ほどなくして「無鉄砲、無鉄砲」とリフレインするこの歌詞がスポーツドリンクのCM曲となり、シングルとしてリリースされることが決まった。淳也にとっては初めての成功体験だ。
やぶれかぶれで作詞を引き受けたことを「無鉄砲」だと思い、サビ頭の歌詞に使った。それがオリコン初登場一位となり、二ヶ月後にはCHE-MEEのアルバム作詞コンペに参加することになる。
CHE-MEEとは十代の女の子、彩夏、亜沙、唯花の三人グループ。彩夏の母親はタイ人で彼女は唯一のハーフだ。平均年齢は十八歳。全員が帰国子女で、サビで英語を使うことが多い。たまにはタイ語も使う。
淳也の妹の
どんなときでも対応してくれる未知香。即レスぶりから、未知香が兄を応援してくれているのを強く感じていた。
―お
痛いメッセージが添えられていた。ついこの前も遠山から「淳也の歌詞は波止場系」と言われたばかりだ。昭和というのは演歌っぽいということなのか。ネットで「楢崎淳也」をエゴサーチしてみたら、「古くてダサい」と書いてあって何気に落ち込んだ。自分の検索なんてするものではない。
―未知香、僕がお洒落な歌詞を書こうなんて、無理な話だ。恋愛の歌詞は一フレーズも書けないし。コンペで通るのはいつも応援歌だ。お洒落じゃなくていいから、カッコいい英語を教えてくれ―
―わかった、お兄。ただ、日本語で昭和感は出さないほうがいいよ。CHE-MEEは十代だし、若者は引くから―
―わかった、わかった―
英語だけ教えてくれればいいのに、と心の中で反論する。
妹と遠山に「昭和」と言われながらも二十回ほどリライトした曲を、今日のコンサートではやるらしい。「らしい」というのは、作詞家とはいえ、僕らはCHE-MEEのメンバーに会ったことがない。プロデューサーのメッセージは所属事務所を介して伝えられるので、現場と直接の関わりを持つことがないのだ。
ゴーストライターとは違うというちっぽけな意地はあるけれど、実際にコミュニケーションがない時点で、さほど変わりはしないのではないかという事実を受け入れつつあった。
尾形さんに聞いたのだが、CHE-MEE以外、他のアーティストやグループに歌詞を書くときにはペンネームを変えるようにと事務所から指示があるようだ。競合アーティストに提供する場合は、特に本名を隠さなければならないという。尾形さんはYUCOという女性名のペンネームも持っている。
大人の事情はさておき、CHE-MEEのコンサートに入れてもらえたことを純粋に喜んだ。コンサートチケットは関係者でもなかなか手に入れることができないと言われるほど、CHE-MEEは今の日本で一番活躍しているアイドルグループ。テレビで観ない日はない。まさか僕らのシートが記者席だとは思わなかったけれど、それでも現場に呼ばれただけありがたいと思う。
観客のリアルな反応を観ることができて、次の作詞に活かせそうだ。ずっと椅子に座って歌詞ばかり書いていても広がらない。自分の五感をくぐらせた言葉だけが、忘れた頃、僕の中にことんと落ちてくる。かがんで拾い集めながら「これでもない、あれでもない」とひとつずつメロディに置いていく。
次から次へと当てはめていき、最終的に勝ち残った言葉だけが旋律を得るのだ。締切まで日にちがないことも多いので、テトリスのように書いていく。言葉がはまった瞬間の喜びといったらない。一人でこっそり小躍りしている。
そのうえ、CHE-MEEのメンバーはとても魅力的で、どんなにタイトな締切でも彼女たちのために書こうと思えた。
本当の関係者席はステージの目前にあるみたいだ。コンサートの途中、彩夏がMCで教えてくれた。
「バラエティ番組で共演している西田さんが正面にいらしてまーす。緊張しちゃうなあ」
すかさず尾形さんが言った。
「コンペという戦場をくぐり抜けてきた俺らみたいな作詞家は、隅の仄暗い席で会場全体を俯瞰しているのがよく似合っている」
相変わらず、硬派だ。
「この記者席、尻が痛いです」
僕が何度もうるさく言うから、尾形さんはたしなめてくれたのだろう。
尾形さんはCHE-MEEのみならず、売れっ子の男性アイドルグループにも数々の作詞提供をしていた。平日は社労士事務所でスタッフとして働いているそうだ。僕より売れている作詞家でも兼業している。作詞だけで食べていくことがいかに現実的ではないのかがわかる。
CHE-MEEの『無鉄砲』は初動でおよそ五十万枚売れた。実は、歌詞の中で作曲者の仮の歌詞にあった英語をそのまま使ってしまった箇所がある。僕が所属する事務所より、作曲者の音楽事務所のほうが老舗で規模が大きい。パワーバランスゆえだろう。作曲者の名前が僕の名前のすぐ後ろに作詞家としてもクレジットされていた。印税は折半となるらしい。
ビギナーズラックのようなものだし、採用されただけでもありがたいことだとすぐに納得した。
「正真正銘のお人好し。なんで日本人は正当な権利を主張しないのかな。ちゃんと交渉しなきゃ。
日本人ってさ、我慢して黙っているか、いきなり爆発して感情的になりがちだよね。こっちに来て、オーストラリア人に指摘されて気づいたよ。
交渉は相手にメリットを提示すればうまくいくんだよね。お兄はもうちょっと実績を作ってから、折半なんかじゃなくて七対三くらいに持ち込めるように事務所に交渉してみたら」
後から未知香にスカイプで語気強く言われたことを思い出す。しっかりした妹にどちらが年上か、一瞬、わからなくなった。
<次回「不採用の理由なんか、教えてもらえない」10月1日(月)更新予定>