楽勝!ではなかった夜の皿洗い
若い頃、なぜ、あんなに六本木にひかれたのだろうか。大学生になると、関心の中心はいつも六本木だった。ディスコやバーで知り合いに会う、もしくは知り合いができる、起こるのはそれぐらいなのに、あの街にいるだけで気分が上がった。
大学に入って最初にしたのは、クルマの免許を取ること。教習所に通うお金とオンボロの中古車の購入代金は母に借りた。バイトして返すといったら、母からこんな提案を受けた。
「バイトの代わりに、うちの仕事をしなさい。大学を卒業するまで、毎晩台所の後片付けをすること」
「毎晩?」
「そう。たとえ自分が外で食べても、家族の使ったお皿は必ず洗う。それがあなたの仕事」
「うん。わかった」
楽勝! と、その時は思った。家に帰ってきてちょこちょこっとやれば済むんだから。しかし、その考えは甘かった。酔っ払って帰ってくる夜もあれば、翌朝が早い時もある。試験の時期にわざとらしく勉強に忙しいふりをしても、母は一切手を貸してくれなかった。
「私が洗ったほうが簡単だけれど、これは約束だから」
旅行の時以外、大学を卒業するまで毎晩、皿洗いをした。少しぐらい体調が悪くても許してもらえなかった。慣れないうちは時間がかかったが、毎晩皿洗いをしていると、手際もよくなった。いつの間にか皿洗いは日常の一部となった。
そうやって手に入れたクルマで六本木に行き、路上駐車をして飲酒運転で帰ってくる。おおらかな時代などというのはあつかましいが、あの界隈では路上駐車も飲酒運転もめずらしいものではなかった。今考えると恐ろしい。
六本木であやふやな夜を過ごした後、第三京浜を走り鎌倉へと向かう。空から紺色が剥がれるように、ひたひたと白くなっていく時間帯が好きだった。明け方、鎌倉の家に帰ると、台所で汚れた皿が山となって待っていた。眠気と闘いながらそれを洗っていると、さっきまでの馬鹿騒ぎが嘘のように思えるのだった。